伝記
メルセデス・ソーサは、本名をハイデー・メルセデス・ソーサといい、アルゼンチン・フォルクローレを代表する女性歌手である。1935年7月9日、アルゼンチン北西部のトゥクマンで、貧しい労働者の家庭に生まれた。
15歳のとき、ラジオ局が開いたコンテストに優勝し、二か月の出演契約を結んだ。ところが、番組のディレクターがフォルクローレを馬鹿にしたことに腹を立て、喧嘩をして帰ってきてしまったというエピソードが知られている。その後は首都ブエノスアイレスに出て、さまざまな職を転々とした。歌手として世に出たのは1960年代半ば、30歳頃のこととされる。
1973年には、作詞のフェリックス・ルナ、作曲のアリエル・ラミレスと組み、アルゼンチン史上の8人の女性、すなわち7人のアルゼンチン人と1人のボリビア人を歌ったアルバム『アルヘンティーナの女』を発表した。このアルバムによって、フォルクローレ史上に不朽の名を残したとされる。歌による社会変革をめざしたヌエバ・カンシオン運動の第一人者と目された時期もあった。しかし、アルゼンチンが軍事独裁政権下にあった1970年代後半には、フランス、次いでスペインへの亡命を余儀なくされた。
1982年、アルゼンチンが民政に復帰するのと前後して帰国した。それ以降は、アルゼンチンのフォルクローレという枠を越え、キューバやブラジルなど、ラテンアメリカの広い範囲の曲を取り上げるようになった。アルゼンチンの曲でも、ビクトル・エレディア、ペテコ・カラバハル、レオン・ヒエコといった、1980年代前半当時としては若手の音楽家の作品を数多く歌っている。代表的なレパートリーには、ビオレータ・パラ作詞・作曲の「人生よありがとう」、ペテコ・カラバハルの「エストレージャ・アスル」のほか、「アルフォンシーナと海」「すべては変わる」などがある。民族楽器の太鼓を抱えて歌うことはあったが、ギターの演奏や作詞・作曲は、知られている限り行っていない。
もともとどっしりした体格だったが、晩年は体重の増加が著しく、そのために健康状態はあまり良くないと伝えられた。日本では1975年と1977年の2度、来日公演を行っている。2003年9月には26年ぶりの来日公演が、日本以外のアジア数か国での公演とあわせて予定されていたが、直前になって健康状態を理由に中止された。2009年10月4日、多臓器不全のためブエノスアイレスで亡くなった。74歳であった。
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