伝記
ポール・アンソニー・サミュエルソンは、1915年5月15日にインディアナ州ゲーリーで、ポーランド出身のユダヤ人家庭に生まれたアメリカの経済学者である。大恐慌のさなかの1932年、16歳でシカゴ大学に入学して1935年に卒業し、1936年にハーバード大学大学院へ進んで1941年に博士号を取得した。シカゴ大学ではフランク・ナイトらシカゴ学派から価格理論を叩き込まれ、ハーバード大学では数学や物理学を修めた。この経験が後の理論的性格を方向づけたと言われる。学位の取得に先立ってマサチューセッツ工科大学で教鞭を執り、1944年に准教授、1947年に教授となった。
23歳のときに書いた処女論文「消費者行動の純粋理論ノート」では、需要曲線が限界効用の理論に頼らなくても、市場で観察できる購入に「顕示された」選好から導けることを示した。これが顕示選好理論である。1939年の論文「乗数分析と加速度原理との相互作用」では、ケインズ主義の所得決定理論にロイ・ハロッドの加速度理論を応用し、近代の恐慌問題を理論的に説明した。これはサミュエルソン=ヒックスの乗数・加速度モデルと呼ばれる。1941年に学位論文として著し、1947年に出版した『経済分析の基礎』は、経済動学への現代的な関心の出発点になったとされ、この著作で一躍有名になった。同年には第1回ジョン・ベイツ・クラーク賞を受けた。
国際貿易の分野では、1948年の論文「国際貿易と要素価格均等化」で、自由貿易を限界まで進めるために必要な厳密な条件を数学的に証明した。さらに1949年と1953年の一連の論文で、アバ・ラーナーとは独立に要素価格等価定理を証明し、これはストルパー=サミュエルソンの定理として知られる。1948年に初版を出した教科書『経済学』では、不完全雇用のときにはケインズ主義的な介入を行うべきだが、完全雇用に達すれば新古典派理論が真価を発揮するという新古典派総合を主張した。この本は世界で一千万部を超えるベストセラーになったという。1954年の論文「公共支出の純粋理論」では公共財を初めて厳密に定義し、最適供給の条件であるサミュエルソン条件を導いた。一方、理論経済学者の森嶋通夫は、サミュエルソンの業績について顕示選好理論以外は独創性がないと語ったとされる。
マルクスの経済学には批判的で、1962年の論考や1967年の論文で、労働者階級の窮乏化という予言は事実として生じなかったと論じた。ハーバード大学の博士試験では、試験が終わったあと、ヨーゼフ・シュンペーターが試験官のワシリー・レオンチェフに「我々はサミュエルソンから合格点をもらえただろうか」と言ったという逸話がある。経済学者の佐和隆光は、1969年にノーベル経済学賞が設立されたのはサミュエルソンに与えるためだという説すらあると紹介している。
計量経済学会会長(1953年)、アメリカ経済学会会長(1961年)を務め、1970年に第2回のノーベル経済学賞、1996年にアメリカ国家科学賞を受けた。戦時生産局、財務省、経済顧問会議、予算局、連邦準備銀行など多くの政府機関で補佐官も務めた。2009年12月13日、マサチューセッツ州の自宅で94歳で死去した。
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