伝記
アムンは、4世紀のキリスト教の隠修士で、エジプトでもっとも名高い修道共同体の一つを築いた人物である。アモン、アンモナス、アムーン、隠修士アンモニオスなどの名でも呼ばれる。名は古代エジプトの神アムンに由来する。のちに聖人とされ、ニトリアの砂漠でとりわけ崇敬された修道者の一人で、アレクサンドリアのアタナシオスが著した大アントニオスの伝記にも名が挙がっている。
裕福な家の出で、ナイル・デルタの小さな町に生まれたとされ、早くに孤児になったという。20歳のとき家族に結婚を迫られたが、パウロのコリント人への手紙の権威を持ち出して花嫁を説得し、二人で貞潔の誓いを立てた。この形で18年間をともに暮らしたのち、妻の望みで別れた。アムンはマレオティス湖の南にあるスケティスとニトリアに引きこもり、そこで22年を過ごした。その間、年に2回、「姉妹である妻」を訪ねた。一方の妻は、自分の家に女性の修道の場を設けたと伝えられ、処女たちの修道共同体を築いたともされる。スケティスへ入ったのは325年ごろとも言われる。
アムンは大アントニオスと協力し、単独で暮らしていた隠修士たちを自分の直接の監督のもとに集めて、修道院というべき共同体を形づくった。伝承では、ニトリアの近くのケリアに修道院を設けた最初の隠修士とされる。これを確かめることはできないが、彼の敬虔さと名声が人々をこの地方に引き寄せたことはより確実だとされる。聖性の評判のほか、奇跡を行い、目に見えない現実を見通し、人の考えを読み、秘密を言い当てたと言われた。大勢の弟子が集まりすぎたため、アムンは弟子の一団とともに山を離れ、アントニオスの協力と訪問を受けながらニトリアの砂漠、のちに「ケリア(小部屋)」と呼ばれる地へ移り、新たな隠修士の集団をつくった。弟子には、パンボ、アレクサンドリアのマカリオス、エウァグリオス・ポンティコスらがいる。
62歳で没したとされる。大アントニオスより先に亡くなっており、アントニオスは彼にあてた書簡を残した。その中でアントニオスは、アムンの魂が天使たちに運ばれて天へ行くのを見たと述べたという。アタナシオスの伝記は時間の順に事を記しており、没年は365年以前、おそらく320年ごろとされる。記念日は、東方正教会とカトリック教会では10月4日、コプト正教会ではパションス月の20日である。
著作として、一般に17または19の「禁欲の規則」が彼のものとされ、ギリシア語の原文が写本で残り、ゲラルドゥス・ヴォシウスのラテン語訳で刊行された。同名の人物による可能性も含めて、「22の禁欲の教え」も写本で伝わる。書簡集は『東方教父全集』に収められ、『修練者への助言』もギリシア語、ラテン語、英語で残っている。
同じ年に亡くなった人物
同じ地域に関係する人物
- アレクサンドリアのアナスタシア (576年没)
- エジプトのマカリオス (390年代没)
- ナウクラティスのクレオメネス (紀元前322年没)