HISTORICAL PERSON · 2008年没

ウィリス・ラム

アメリカの物理学者。水素スペクトルの微細構造の研究で、1955年にノーベル物理学賞を受賞した。ラムシフトに名を残す。

生涯
2008年没
死亡地
アメリカ合衆国(アリゾナ州 / トゥーソン)
出生地
アメリカ合衆国(ロサンゼルス)
出典
世界地図
アメリカ合衆国(アリゾナ州)

伝記

ウィリス・ユージーン・ラムは、1913年7月12日にアメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルスで生まれた物理学者である。父は同名のウィリス・ユージーン・ラム・シニアで電話技師、母はマリー・ヘレン・メトカーフであった。ロサンゼルスとオークランドで学校生活を送り、1930年にカリフォルニア大学バークレー校へ入学を認められ、1934年に化学の学士号を取得した。

大学院ではロバート・オッペンハイマーの指導を受け、結晶による中性子の散乱に関する理論研究で1938年に物理学の博士号を得た。この研究は、当時利用できた計算の手法が限られていたために、ルドルフ・メスバウアーが19年後に確立するメスバウアー効果をあと一歩のところで見逃したものだったと伝えられる。同じ1938年にコロンビア大学の物理学講師となり、核理論やレーザー物理、量子力学の検証など幅広い分野に取り組んだ。博士論文の主題は、原子核の電磁的な性質ともいわれる。1948年には同大学の物理学教授に昇進し、1951年までコロンビア大学に在籍した。

1947年、ロバート・レザフォードとともに行った実験で、水素原子の異なる軌道のあいだにエネルギー準位の差があることを見いだした。これは当時の理論が予測していなかったもので、水素のスペクトルの微細構造にみられるこのずれは、のちにラムシフトと呼ばれるようになった。真空の量子的なゆらぎによって説明されるこの発見は、量子電磁力学の理解を大きく進めるものであった。ラム自身はその後も、原子核の場の理論、準安定状態の原子による電子の放出、分子における四重極相互作用など、量子物理学の多様な主題に取り組んだ。この業績により、1955年にポリカプ・クッシュとともにノーベル物理学賞を受けた。

その後の経歴をたどると、1951年にスタンフォード大学の教授となり、1956年から1962年まではオックスフォード大学でワイカム教授職を務めて、ニュー・カレッジのフェローにもなった。1962年にはイェール大学のヘンリー・フォード二世教授に就き、1974年からアリゾナ大学で物理学と光学の教授を務め、2000年代の初めまで在職した。晩年は量子測定の問題に関心を強め、量子力学の解釈をめぐる風潮や光子という用語の使い方には批判的な立場を示した。量子力学を使う人の多くは、その解釈を知る必要がほとんどない、という趣旨の言葉も残している。

私生活では、1939年にドイツ出身の学生ウルズラ・シェーファーと結婚した。彼女はのちにラテンアメリカ史の歴史家として名を成した。1996年に最初の妻を亡くしたあと物理学者のブルリア・カウフマンと再婚したが、のちに離婚し、2008年にエルシー・ワトソンと結婚した。同年5月15日、アリゾナ州ツーソンで94歳で亡くなった。死因は胆石に関する合併症とされる。

1992年にはレーザー科学アインシュタイン賞、2000年にはアメリカ国家科学賞を受け、1998年にはレーザー科学と量子光学への貢献をたたえてウィリス・ラム賞が創設された。D・カイザーは、ラムを理論家から実験家に転じた珍しい人物と評している。

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