HISTORICAL PERSON · 2008年没

バーニー・マック

アメリカのコメディアン・俳優。スタンダップ・コメディアンとして認められ、『オーシャンズ11』シリーズなどに出演した。

生涯
2008年没
死亡地
アメリカ合衆国(イリノイ州 / シカゴ)
出生地
アメリカ合衆国(シカゴ)
出典
世界地図
アメリカ合衆国(イリノイ州)

伝記

バーニー・マックは、本名をバーナード・ジェフリー・マッカロウといい、1957年10月5日にアメリカ合衆国イリノイ州シカゴで生まれたアフリカ系アメリカ人の俳優、コメディアンである。メアリー・マッカロウとジェフリー・ハリソンの二番目の子で、シカゴのサウスサイドで、母と祖父母のもとで育てられた。シカゴ職業高校に進んだが、二年生のときに母を亡くし、1973年にフロリダ州タンパのジェズイット高校へ移った。その直後には兄と、疎遠だった父も相次いで亡くなったという。やがてシカゴに戻り、1975年にシカゴ職業高校を卒業した。1977年9月17日には高校時代の恋人ロンダ・ゴアと結婚し、翌1978年に娘が生まれている。

芸の道には早くから入り、19歳のころからシカゴのコットン・ピッキン・クラブなどの舞台に立った。だが生活は安定せず、二十代から三十代前半にかけては清掃員、引っ越し作業員、料理人、バスの運転手、パンの配達員、UPSの営業員など、さまざまな仕事をしながら、週末のクラブやパーティーでコメディを演じていた。影響を受けたのは三ばか大将や、スタンダップ・コメディアンのリチャード・プライヤー、レッド・フォックスだったとされる。32歳のとき、新人コメディアンの登竜門であるミラー・ライト・コメディ・サーチで優勝し、スタンダップ・コメディアンとして認められるようになった。

転機は1992年で、HBOの番組デフ・コメディ・ジャムの第3回に出演した際、会場の観客が次第に荒れ、マーティン・ローレンスでも落ち着かせることができなかったところへ舞台に上がり、観客にまったく怖くないと言い放って注目を集めた。同じ1992年に『モー・マネー』で映画に出演し、『フライデー』(1995年)にも出た。スティーヴ・ハーヴェイ、セドリック・ジ・エンターテイナー、D・L・ヒューリーとともに「ビッグ・フォー」と呼ばれる人気コメディアンの一人としてツアーに加わり、その舞台は映画『オリジナル・キングス・オブ・コメディ』(2000年)になった。
2001年にはFOXが彼を主役にした連続ホームコメディ『バーニー・マック・ショー』を始めた。自分自身をモデルにした主人公が、治療施設に入った姉の三人の子どもを預かることになる筋で、本人が画面に向かって観客に語りかける手法をとり、実生活の出来事を下敷きにした場面も多かった。番組は2006年4月14日の最終回で幕を閉じたが、エミー賞では主演男優賞に二度ノミネートされ、脚本賞を受け、ピーボディ賞やヒューマニタス賞も得た。同じ時期に『オーシャンズ11』に始まる三部作、『ヒップホップ・プレジデント』、『チャーリーズ・エンジェル フルスロットル』、『バッドサンタ』、野球を題材にした『Mr.3000』、『ゲス・フー』などにも出演した。

2007年3月にはテレビ番組で、次の作品を最後に30年のキャリアに区切りをつけ、少し人生を楽しみたいと語っていた。それでも『トランスフォーマー』や、声の出演をした『マダガスカル2』などで活躍を続けた。2008年7月24日にサルコイドーシスによる肺炎で入院し、8月2日に危篤となり、8月9日にシカゴで亡くなった。50歳であった。撮影中の映画『ソウル・メン』を残しての突然の死は大きな衝撃をもって受け止められ、多くの番組が追悼特集を組んだ。『ソウル・メン』や『マダガスカル2』は死後に公開され、遺作は翌年公開の『オールド・ドッグ』となった。

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