HISTORICAL PERSON · 2008年没

アルバート・ホフマン (化学者)

スイスの化学者。LSDを合成し、キノコからシロシビンを発見して、精神薬理学の端緒を開いた。

生涯
2008年没
死亡地
スイス連邦(バーゼル=ラント準州 / Burg im Leimental)
出生地
スイス連邦(バーデン)
出典
世界地図
スイス連邦(バーゼル=ラント準州)

伝記

アルベルト・ホフマンは、1906年1月11日にスイスのバーデンで生まれた化学者である。工場の工具職人だった父アドルフと、母エリザベート・シェンクの四人の子の長男で、プロテスタントの洗礼を受けた。父が病気になり、収入も少なかったため、働きながら勉強を続け、商業の見習いとして職を得た。学費は名付け親が出してくれたという。大学受験資格を得て、20歳でチューリッヒ大学に入り、パウル・カラーに師事して化学を学んだ。関心の中心は、植物と動物の化学で、やがて天然物質の研究に引かれていった。学位論文では、動物性の物質であるキチンの化学構造を扱い、リンゴマイマイの胃液でキチン質を酵素分解し、その成分が植物のセルロースに似ているとの結論を示して、「優秀」の評価を得た。わずか4年で博士号を取り、1929年にはキチンの構造を明らかにしている。

1929年、製薬会社サンド社の薬学・化学研究所に入り、研究所の創設者で所長のアルトゥール・シュトルのもとで働いた。地中海産の薬用植物カイソウや、麦角菌から、医薬品に使う有効成分を精製、合成する計画に加わり、カイソウの配糖体に共通する核の化学構造の解明に貢献した。麦角の研究を進める中で、リゼルグ酸の誘導体を調べ、1938年11月16日に初めてLSDを合成した。目的は、子宮に作用せずに呼吸と循環を促す薬を得ることで、ニケタミドと同じようにジエチルアミドの基を加えたものだった。この物質はいったん脇に置かれたが、5年後の1943年4月16日にホフマンが再び調べ、偶然にその強い作用を知った。3日後の4月19日には、250マイクログラムを意図して飲んだ。慎重なごく少量のつもりだったが、実際は強い量だった。人が奇妙な生き物に変わって見え、家具が生き物のように動き、異世界の力に取りつかれた気がしたという。自転車で帰宅しようとしたことから、この日は「自転車の日」と呼ばれる。

その後は、メキシコのキノコなどに含まれる幻覚成分を研究し、自分で試しながら、マジック・マッシュルームのシロシビンとシロシンを単離し、合成した。サンド社では天然物部門の部長となった。メキシコのアサガオの種子の有効成分エルギンが、LSDにきわめて近いことを見つけたときには、学界は信じがたいと、科学的な不正の疑いさえ口にしたが、すぐほかの研究者が確かめた。1962年には妻アニタとメキシコを訪れて、民族菌学者ゴードン・ワッソンの招きで、精神作用のある植物「牧女マリアの葉」を探した。試料は手に入れたものの、有効成分は特定できなかった。1971年に退職するまで、サンド社に40年以上在籍した。1935年にはアニタ・グアネラと結婚した。100本を超える論文と多くの著書があり、回想録『LSD わが問題児』も書いた。

LSDを生涯、神聖な薬と見なしていた。100歳の誕生日の少し前の取材では、LSDを「魂の薬」と呼び、世界中で禁じられたことに不満を示した。精神分析で10年間、非常にうまく使われたが、1960年代の対抗文化に乱用され、政界から不当に批判されたと述べた。誤って使えば危険になりうることは認めていた。2008年4月29日、スイスのアールガウ州ブルクで、心臓発作のため102歳で亡くなった。

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