伝記
チャールトン・ヘストンは、1923年10月4日にアメリカのイリノイ州シカゴ北郊で生まれた俳優、社会運動家である。生地はエヴァンストンとする資料が多く、本人の自伝ではウィルメットとされている。出生名はジョン・チャールズ・カーターと伝えられてきたが、出生証明書にはチャールトン・カーターと記されているとする資料もあり、名前の経緯には食い違いがある。幼いころはミシガン州の森深い農村で暮らし、狩りや釣りに親しんだという。両親は子供のころに離婚し、母が再婚すると、きょうだいとともに継父の姓ヘストンを名乗るようになった。
高校時代に学生劇に出たことで演劇に関心を持ち、奨学金を得てノースウェスタン大学に進んで演劇部で活躍した。1944年には大学で知り合った女学生リディア・クラークと結婚し、2008年に亡くなるまで64年間連れ添った。第二次世界大戦中は陸軍に入り、B-25爆撃機の無線士としてアリューシャン列島方面で3年間勤務した。復員後に俳優を志して、1947年にブロードウェイでデビューし、1950年に最初の映画『虐殺の街』に出演した。セシル・B・デミル監督は、その肉体を「ミケランジェロの彫刻のように美しい」と評したという。
1952年の『地上最大のショウ』に続き、1956年の『十戒』ではモーセを演じた。1959年の『ベン・ハー』ではアカデミー主演男優賞を受けた。1960年3月には『ベン・ハー』の日本公開に合わせて夫人と来日し、慈善試写会に訪れた昭和天皇と香淳皇后に拝謁して握手を交わした。『エル・シド』『華麗なる激情』などでは歴史上の英雄を、『大地震』『ハイジャック』などではタフな主人公を演じ分け、『猿の惑星』『ソイレント・グリーン』『地球最後の男オメガマン』といった娯楽作や異色作にも出て、イメージを一新した。『アントニーとクレオパトラ』では脚本と監督も務めている。1966年から1971年までは俳優組合の会長を務めた。晩年も名脇役として出演を続け、2001年の『猿の惑星』ではカメオ出演し、2003年の出演作では、アルツハイマー病に苦しみながらも「死の天使」と恐れられたヨーゼフ・メンゲレを圧倒的な存在感で演じた。
政治では、人種差別が法的に認められていた1950年代から1970年代に反対の姿勢を公にし、1963年8月にはマーティン・ルーサー・キング牧師、ハリー・ベラフォンテ、マーロン・ブランドらとワシントン大行進に加わった。その後、バリー・ゴールドウォーターへの共感から保守主義に傾いたが、人種差別には一貫して反対の立場をとったとされる。1997年に全米ライフル協会の評議員に選ばれ、翌1998年に会長に就任した。規約が改正されて2003年まで5期つとめ、会員数は500万人近くにまで増えたという。2002年のドキュメンタリー映画『ボウリング・フォー・コロンバイン』では、マイケル・ムーア監督から銃を巡る質問を受けて答えず、部屋を去った。2003年8月にアルツハイマー病を公表して会長を辞任した。
2008年4月5日の夜半過ぎ、ビバリーヒルズの自宅で夫人に看取られ、84歳で死去した。アメリカのメディアはこれをトップニュースで報じた。日本では声優の納谷悟朗が、公認の専属吹き替えとして知られている。
同じ年に亡くなった人物
- グリゴリー・ロマノフ (2008年没)
- ヨーッラック・サラックジャイ (2008年没)
- ジョン・ホイーラー (2008年没)
- オリー・ジョンストン (2008年没)
- マルコム・マッケナ (2008年没)
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- フィリップス・スモーリー (1939年没)
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