伝記
ロイ・リチャード・シャイダーは、1932年11月10日にアメリカのニュージャージー州オレンジで、自動車工の父と母アンナの間に生まれた俳優である。母はアイルランド系のカトリック教徒、父はドイツ系のプロテスタントの移民だった。幼いころからスポーツに打ち込み、野球とボクシングで才能を現し、ボクシングでは体重140ポンドのウェルター級だった。メイプルウッドの高校に通い、のちに同校の栄誉の殿堂に入っている。その後ボクシングから演劇に転じ、ラトガース大学とフランクリン・アンド・マーシャル大学で演劇を学んだ。卒業後は空軍に入って3年間管制業務に就き、除隊後はニューヨークのシェイクスピア・フェスティバルに出演して、1968年にオビー賞を受けた。テレビでは、二つの連続ホームドラマで俳優としての経歴を始めた。
映画の初出演は1963年のホラー映画で、「ロイ・R・シャイダー」の名でクレジットされた。1971年には『コールガール』と『フレンチ・コネクション』に出演し、ジーン・ハックマンの相棒の刑事バディ・ルッソを演じた『フレンチ・コネクション』で、アカデミー助演男優賞にノミネートされた。40歳近くになって、ウィリアム・フリードキン監督のこの作品でようやく世間の認知を得たのである。1970年代には、その男らしさと優雅さを併せ持った存在感で、数々の代表作に出た。知的な脇役や悪役を務めたのち、1975年にスティーヴン・スピルバーグ監督の『ジョーズ』でブロディ署長を演じ、大ヒットによって一躍名を高めた。1977年にはフリードキン監督の映画で主役を張ったが、撮影は混乱し、公開が『スター・ウォーズ』と重なって、興行的には大失敗に終わった。1978年に続編の『ジョーズ2』にも主演したが、この出演は、ユニバーサルとの契約を果たす意味があったという。続編では、最初の作品で受けた神経症と心の傷を深く掘り下げ、サメへの執念から孤立し、突然暴力に走る人物へと変えた。
1979年にはボブ・フォッシーの自伝的映画『オール・ザット・ジャズ』で、ミュージカルの舞台監督ジョー・ギデオンを演じ、タフ・ガイというイメージを打ち破って、アカデミー主演男優賞にノミネートされた。この作品は1980年のカンヌ国際映画祭でパルム・ドールを分け合った。1980年代は舞台に戻り、ハロルド・ピンターの戯曲に成功を収めた。1984年には日本のウイスキーのCMにも出ている。1990年代以降は、サイコサスペンスやホラーが多くなったが、スピルバーグが製作したテレビシリーズ『シークエスト DSV』では主演を務めた。2003年にはイラク戦争に反対する集会に参加している。2004年に多発性骨髄腫と診断されて俳優業を休み、2005年6月に骨髄移植を受けたが、2008年2月10日、4年近い闘病の末に亡くなった。結婚は2度で、3人の子がいた。
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