伝記
サー・アーサー・チャールズ・クラークは、1917年12月16日にイングランドのサマセット州で生まれ、2008年3月19日にスリランカで亡くなったイギリス出身のSF作家である。20世紀を代表するSF作家の一人で、科学解説者としても知られる。1950年代から1970年代には、ロバート・A・ハインライン、アイザック・アシモフと並ぶ「ビッグ・スリー」と称された。代表作は『幼年期の終わり』『2001年宇宙の旅』で、豊富な科学的知識に支えられた近未来を舞台にした作品と、人類の宇宙的な進化を壮大に描く作品に特色がある。
少年時代は天体観測や化石の収集を趣味とし、アメリカのパルプ雑誌に載るSF小説に熱中した。1934年に英国惑星間協会に入会し、1936年にグラマースクールを卒業したあとは、教育委員会の年金部門の監査役として働いた。第二次世界大戦中はイギリス空軍で、レーダー技師として早期警戒レーダー網の構築に携わり、バトル・オブ・ブリテンでの英国の勝利に貢献した。大尉で除隊し、戦後はキングス・カレッジ・ロンドンで物理学と数学を学んだ。1945年には、人工衛星による通信システムを提案している。1946年から1947年と、1951年から1953年に英国惑星間協会の会長を務めた。
1937年から1945年にファンジンに小説をいくつか発表し、1946年に商業誌でデビューした。最初のヒット作は同年の「太陽系最後の日」である。1948年にBBCのコンクール向けに書いた「前哨」は選に漏れたが、のちの『2001年宇宙の旅』の原型となった。その後の作品には、技術は進んでも偏見にとらわれた人類が、自分たちより優れた異星の生命と出会い、その出会いが突破口となって、人類が次の段階に進化するという設定が目立つ。『都市と星』や『幼年期の終わり』、「宇宙の旅」のシリーズがそうである。1951年からは専業作家となり、同年に最初の長編『宇宙への序曲』を発表した。1953年の3作目の長編『幼年期の終わり』は、人気を不動のものにした。
1956年に当時のセイロン(現在のスリランカ)へ移住し、以後、亡くなるまでほとんどの期間をそこで過ごした。理由については、スキューバダイビングが好きだったからと語っている。1961年に6作目の長編『渇きの海』を発表した。1962年にポリオと診断され、この感染が原因で、1988年にポリオ後症候群を発症し、以後は車椅子が必要になった。1973年の『宇宙のランデヴー』は、主要なSF文学賞を総なめにし、シリーズ化された。1979年にモラトゥワ大学の学長に任命されて2002年まで務め、1986年にはグランド・マスター賞を授与された。1989年に大英帝国勲章を受け、同年に国際宇宙大学の初代学長に就き、2004年まで務めた。
1998年にナイトに叙されると発表されたが、新聞が小児性愛で告発したため、授与は延期された。この告発は、スリランカ警察の調査で事実無根と判明している。式典は2000年5月26日に、駐スリランカ高等弁務官が代行してコロンボで行われた。2005年にはスリランカ政府から、文民向けの最高勲章を授与された。2008年3月19日、コロンボの自宅で、呼吸困難と心不全のため90歳で亡くなった。死の数日前に、最後の作品『最終定理』の原稿のチェックを終えたところだった。この作品は、フレデリック・ポールと電子メールでやり取りしながら書いた共作で、死後に出版された。
同じ年に亡くなった人物
- モシェ・レヴィ (2008年没)
- グリゴリー・ロマノフ (2008年没)
- マイケル・クライトン (2008年没)
- フランティシェク・チャペック (2008年没)
- Leo Major (2008年没)
同じ地域に関係する人物
- ラクシュマン・カディルガマン (2005年没)
- ダッドリー・シェルトン・セーナーナーヤカ (1973年没)
- ジョン・コタラーワラ (1980年没)
- ソロモン・バンダラナイケ (1959年没)
- ラナシンハ・プレマダーサ (1993年没)