伝記
エルンスト・イングマール・ベルイマンは、1918年7月14日、スウェーデンのウプサラに生まれた映画監督、脚本家、舞台演出家である。父は牧師で、兄のダーグは外交官、妹のマルガレータはのちに小説家となった。一家は首都ストックホルムで暮らしており、ベルイマンもそこで育った。1937年にストックホルム高等学校(現在のストックホルム大学)の文学・美術史学科に入学し、舞台演出の道へと進んだ。1942年に映画会社スヴェンスク・フィルムに入社し、1943年にエルセ・フィシェルと結婚したが、1945年に離婚し、その後も多くの女性と結婚と離婚を繰り返して、通算で5度の結婚を経験した。1944年にアルフ・シェーベルイ監督の『もだえ』の脚本を手がけ、同年にヘルシンボリ市立劇場の主任演出家となった。その後も各地で舞台演出を行った。
1945年に『危機』で映画監督としてデビューし、数本の低予算映画のなかで自らの様式を模索した。1950年の『夏の遊び』のころに、監督としての様式を確立し、1952年の『不良少女モニカ』はフランスのヌーヴェル・ヴァーグの作家たちから賞賛された。ところが、批評家に激賞されながら興行的な成功に恵まれず、プロデューサーから「次回作で興行的な成功がなければ二度と映画は撮らせない」と圧力をかけられた。そうしたなかで撮った1955年公開の『夏の夜は三たび微笑む』が、翌年のカンヌ国際映画祭で特設賞の「詩的ユーモア賞」を受け、国際的な評価と、国内での大成功を得た。この成功で得た制作の自由のもと、1950年代後半には良作を立て続けに発表した。神の存在を主題にした『第七の封印』(1957年)でカンヌの審査員特別賞に輝き、老いを普遍的に描いた『野いちご』(1958年)ではベルリン国際映画祭の金熊賞を受け、権力と迷信の対立を喜劇風に描いた『魔術師』(1958年)ではヴェネツィア国際映画祭の審査員特別賞を得て、数年のうちに世界三大映画祭の主要部門を制した。
1960年には、復讐と神の存在を描いた『処女の泉』が米国アカデミー賞の外国語映画賞を受け、名声を不動のものにした。『鏡の中にある如く』(1961年)、『冬の光』(1962年)、『沈黙』(1963年)は「神の沈黙」三部作と呼ばれる。1963年にストックホルム王立劇場の総監督となり、1965年にチャップリンとともにエラスムス賞を受けた。1966年からは、ゴトランド島の北にあるフォーレ島での生活を始めた。その後は愛人であった女優リヴ・ウルマンを主役に、『仮面/ペルソナ』(1967年)など人間の本質に迫る作品を発表し続けた。1976年に脱税の容疑でスウェーデン警察に逮捕され、無実で2か月後に釈放されたものの、ショックで入院し、回復するとスウェーデンを去ると表明した。ノルウェーでイングリッド・バーグマン最後の映画出演となる『秋のソナタ』を撮り、西ドイツのミュンヘンに落ち着いた。1978年に名誉が回復され、のちに帰国した。
1982年公開の5時間を超える大作『ファニーとアレクサンデル』を最後に映画監督業を引退し、舞台に専念した。ただし脚本家としては、自伝的な作品を中心に映画製作にも関わった。1991年に高松宮殿下記念世界文化賞を受賞し、1995年には最後の妻イングリッドを亡くした。2003年に20年ぶりの監督作品『サラバンド』を発表して、健在ぶりを示した。2007年7月30日、フォーレ島で89歳で亡くなった。20世紀を代表する映画監督の一人とされる。
同じ年に亡くなった人物
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