伝記
アーサー・コーンバーグは、1918年3月3日に生まれ、2007年10月26日に没したアメリカ合衆国の生化学者である。DNAの生合成の仕組みを解明し、ニューヨーク大学のセベロ・オチョアとともに、1959年のノーベル生理学・医学賞を受賞した。酵素化学やDNAの生合成、また動物、植物、微生物、ウイルスの遺伝を支配する核酸の研究を主に行った。
ニューヨークで、ユダヤ系の両親ジョセフとレナ(旧姓カッツ)の息子として生まれた。両親は、結婚前の1900年に、当時オーストリア領ガリツィア(現在はポーランド)から移ってきた移民だった。父方の祖父は、徴兵を逃れるために他人の名義を使い、姓をクウェラーからコーンバーグに変えたという。父は30年近くマンハッタンの縫製工場でミシンを扱って働き、健康を崩してからはブルックリンで小さな工具店を開いた。アーサーは9歳の頃からこの店で客の相手をした。父は正式な教育を受けていなかったが、少なくとも6か国語を話した。エイブラハム・リンカーン高校を卒業し、ニューヨーク市立大学シティカレッジに進んで、1937年に理学士を得た。1941年にロチェスター大学の医学部を卒業して医師の免許を取った。血中のビリルビンが高くなる軽い黄疸であるジルベール症候群を患っており、医学部の学友とこの病気の発症率を調べて、1942年に最初の論文にまとめた。
1941年から翌年にかけて、ロチェスターの病院で臨床研修を行い、1942年に沿岸警備隊に入って船医として働いた。国立衛生研究所の所長ローラ・ダイアーが論文を読んでいて、研究所に招いた。1942年から45年は、ラットに特定の餌を与えて新しいビタミンを探す研究をしたが、退屈な仕事で、次第に酵素に魅力を感じるようになった。1946年にニューヨーク大学のオチョアの研究室に移り、酵素の精製に必要な有機化学や物理化学の知識を補うため、コロンビア大学の夏期講座にも通った。1947年から53年は、国立衛生研究所の酵素・代謝部門の長を務め、ATPの生合成を研究した。これがより単純な分子からDNAがつくられる仕組みの研究につながった。
1953年にセントルイスのワシントン大学の教授となり、1959年まで勤めた。そこでもDNAの合成にかかわる酵素の研究を続け、1956年に最初のDNA合成酵素、すなわちDNAポリメラーゼⅠを単離した。この業績により1957年に米国科学アカデミーの会員となり、1959年にノーベル賞を受賞した。1959年からはスタンフォード大学の生化学の教授となった。母は1939年に胆嚢の手術のあと、細菌の芽胞に感染してガス壊疽で亡くなった。これがきっかけで芽胞に関心を持ち、1962年から70年にかけて、DNAの研究と並行して、芽胞の中のDNAの複製や発芽の仕組みも調べたが、のちに断念した。死の直前までスタンフォード大学で研究を続け、論文を発表していた。
1943年に生化学者のシルヴィ・ルース・レヴィと結婚し、3人の息子をもうけた。妻はDNA合成酵素の発見にも大きく貢献した。長男ロジャーはスタンフォード大学の教授で、2006年にノーベル化学賞を受賞した。シルヴィは1986年に亡くなり、1988年にシャーリーン・ワルシュ・レブリングと再婚し、彼女も1995年に亡くなると、1998年にキャロリン・ディクソンと再々婚した。1999年には、ロチェスター大学にその名を冠したアーサー・コーンバーグ医学研究所が建てられた。呼吸不全のため89歳で亡くなった。
同じ年に亡くなった人物
- リー・ヘイズルウッド (2007年没)
- ソー・ウィン (2007年没)
- シェリー・マーテル (2007年没)
- アブドッラフマーン・アーリフ (2007年没)
- Wiera Gran (2007年没)
同じ地域に関係する人物
- リリアン・ランドルフ (1980年没)
- ジェリー・バス (2013年没)
- ミルバーン・ストーン (1980年没)
- ジョアン・ドルー (1996年没)
- リチャード・ハッチ (2017年没)