伝記
アフラハトは、4世紀前半に生きたシリア語の著述家で、メソポタミア北部のアディアベネのシリア教父とされる。270年ごろに生まれ、345年ごろに没したといわれる。ペルシャの賢者とも呼ばれ、ローマ帝国の東の境界を越えた地域にあった初期キリスト教の姿を、今日に伝える存在である。ニシビスのエフレムと並んで、シリア語キリスト教文学の最も古い著者の一人に数えられる。生涯の事績はほとんど伝わらず、著作もその死後に知られるようになった。
名前のアフラハトは、中世ペルシア語のフラハートにあたるシリア語形で、ギリシア語のフラアテスと同じ名であり、パルティアの王の名にも見られる。この名が『解説』の著者に結びつけられたことを示す記録は、かなり後の時代のものである。それ以前は、洗礼名のヤコブの名で知られることが多かった。そのため早い時期から、ニシビスの司教ヤコブと混同され、『解説』が長くその司教の作とされてきた。しかしニシビスの司教ヤコブは340年ごろに没し、当時ローマ帝国領だった地に暮らしていた。これに対し『解説』の真の著者は、シャープール2世が治めるササン朝ペルシアの領内にいた人物である。714年には、アラブ人の司教ゲオルギオスが、司祭ヨシュアから「ペルシャの賢者」の教えについて尋ねられた手紙の中で、その名を知らないと認めている。
素性については、ペルシア領内に住み、345年の少し後に亡くなったらしいということのほかは、よく分かっていない。337年の日付をもつ第6の『解説』からは、禁欲者の共同体に属していたことがうかがえる。1364年の写本の余白には、モスルの近くの古い修道院にちなんで「マル・マッタイの司教」と注記されているが、時代が離れているため疑わしい。第14の『解説』は宗教会議から出された回状であり、そこから、少なくとも司教であったと考える東洋学者もいる。
アフラハトは、23の『解説』を著した。表現にはしばしば詩のようなリズムとイメージが用いられているものの、形式は簡素な散文である。1から22までは、22文字あるシリア語のアルファベットの各文字で始まるように並べられた。ただし、一度に書かれたのではなく、三つの時期に分かれる。最初の10篇は336年から337年にかけて書かれ、信仰、愛、断食、祈り、戦争、禁欲者の共同体の人々、悔悛者、復活、謙遜、牧者といった、キリスト教徒の生活や教会の秩序を扱う。11から22までの12篇は344年までに書かれた。341年に主教シモンが処刑されて始まった激しい迫害の時期にあたり、終末的な主題が目立つ。このうち割礼、過越、安息日、イスラエルの離散の四つの篇では、当時のメソポタミアに広く存在したユダヤ教とキリスト教の関係が取り上げられる。割礼、過越、安息日の意味を説明することで、ユダヤの伝統を受け継ぐキリスト教徒という立場が示されている。
第23の『解説』は、アルファベット形式の連作には含まれず、344年から345年の冬に書かれ、生涯の終わりに近い作品とみられる。ぶどうの房の比喩から出発して、アダムからイエスまでのメシアの約束の成就を論じている。『解説』はシリア語で書かれたが、すぐほかの言語に翻訳された。西方に知られたのは、まずアルメニア語訳によってで、19篇のみを収め、1756年に枢機卿アントネッリが刊行した。全篇のシリア語は、ニトリアの砂漠の修道院から大英博物館に入った写本の中から見つかり、1869年にライトが初めて校訂版を出した。2007年には教皇ベネディクト十六世が一般謁見で、ペルシアの賢者アフラハトを取り上げている。
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