伝記
フィリップ・ノワレは、1930年10月1日にフランス北部のリールで生まれた俳優である。『ニュー・シネマ・パラダイス』(1988年)のアルフレード役で知られる。父ピエール・ジョルジュは、ピカルディの出身で、大きな衣料会社の付け襟の販売員として働く文学と詩の愛好家だった。母リュシーはベルギー系の専業主婦で、少年期にはカトリックの教育を受けた。リール、ブローニュ=シュル=メール、ベルク、リヨン、さらに1936年から1938年にはモロッコと、転居を重ねたのち、幼年期は南仏のトゥールーズで過ごし、生涯この地方に強い愛着を持ち続けた。
パリ16区の名門リセ・ジャンソン・ド・サイイに学んだが、勉強には無関心で、1945年9月に追い出された。のちにセーヌ=エ=マルヌ県のカトリック系寄宿学校ジュイイ校に入り、劣等生の自分をもてあまして、少年合唱団の支部で歌った。1949年の復活祭にはその合唱団とともにローマのサン・ピエトロ大聖堂で歌い、レコードにも吹き込んでいる。ジュイイ校では、教師の一人である神父から俳優の天職を教えられた。神父が試しに戯曲の演出を任せ、上演にジュリアン・グリーンらの作家を招くと、作家たちが彼の素質を認めたという。1949年、バカロレアの受験に3度失敗して学業を諦め、パリでロジェ・ブランの演劇講座に入り、のちに西部演劇センターで学んで、ジャン=ピエール・ダラスと出会った。1962年には、国立民衆劇場で知り合った女優モニーク・ショーメットと結婚し、娘フレデリックをもうけた。
1953年、国立民衆劇場に入り、ジェラール・フィリップの前で受けたオーディションに合格した。ジャン・ヴィラールは不在だったという。7年間、劇団の生活を送り、コルネイユ、シェイクスピア、モリエール、ボーマルシェといった古典を中心に40以上の役を演じた。1960年に劇団を離れ、フランソワーズ・サガンの戯曲に出演した。同じころ、ダラスとキャバレーで、ルイ14世とラシーヌに扮してド・ゴール政権の政治を風刺する漫才を演じて評判を得た。映画は当初考えていなかったが、1951年の作品の背景に端役で映ったのが初めで、本格的な初出演は1955年、アニエス・ヴァルダの初監督作品『ラ・ポワント・クールト』だった。病に倒れた俳優の代役を土壇場で務めたもので、スクリーンの自分を初めて見て、体つきに居心地の悪さを覚えたが、のちにジャン・ギャバンと共演して克服したという。
1960年代からは映画に引っ張りだこになり、30年間舞台から離れたが、1997年にベルトラン・ブリエの作品で舞台に復帰した。出演した映画の観客数は合計で1億1600万人を超え、フランスで最も多くの観客を動員した俳優の一人となった。1976年と1990年の二度、セザール賞の主演男優賞を受賞している。出演作は100本を超え、フランス映画界を代表する俳優の一人となった。2006年11月23日、癌のため76歳で死去した。
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