伝記
サパルムラト・アタイェヴィッチ・ニヤゾフは、1940年2月19日に生まれたソ連およびトルクメニスタンの政治家で、トルクメニスタンの初代大統領である。アシガバートで生まれたが、早くに孤児になった。父は第二次世界大戦に分隊長として出征し、ドイツ国防軍と戦って1942年に戦死した。残った家族である母と二人の兄も亡くなった。その後はソ連の孤児院で育てられ、遠縁の親戚に預けられた。優秀な成績で学校を卒業し、1959年には地質探査従事者の労働組合の地域委員会で教官として働いた。1962年から共産党員となり、レニングラード工科大学に入って1967年に卒業すると、水力発電所で電気技術者として働いた。
1970年から1980年までトルクメン共産党の中央委員を務め、1976年に通信教育でソ連共産党中央委員会附属の高等党学校を卒業した。1980年にアシガバート市委員会の第一書記となり、1984年にモスクワでミハイル・ゴルバチョフに見いだされた。1985年3月にトルクメン共和国の首相、同年12月にトルクメン共産党の第一書記に就き、とんとん拍子に出世した。ペレストロイカ路線に忠実で、一定の民主化も行い、1989年から1991年までソ連人民代議員を務めた。1990年1月13日にトルクメン共和国最高会議議長となり、議会で独立主権宣言が採択され、10月に国民投票でトルクメン共和国大統領に選ばれ、10月27日、国民投票の結果、独立国家と宣言された。独立後は豊富な天然ガス資源で豊かな国をつくることを目標とし、電気、ガス、水道を無料にするなどの人気取りの政策も行った。
ソ連の崩壊後、憲法の採択と関連して、1992年6月21日にトルクメニスタンの大統領に選ばれた。1993年には議会から「国父」を意味するテュルクメンバシュの称号を授けられた。独立後は個人崇拝の色を強め、権威主義的な独裁体制を敷き、1999年12月には人民会議により終身大統領と宣言されて、旧ソ連で初の終身大統領となった。2001年には自著『ルーフナーマ(魂の書)』が発表され、聖なる書として扱われ、学校の教科書にも使われた。自らを預言者になぞらえたため、イスラームの教えと矛盾するとして国外のムスリムから批判された。野党への弾圧や言論の規制、オペラやバレエなど西洋芸術の否定といった政治は、欧米諸国から多くの批判を受けた。2003年からは最高機関である国民評議会の議長となった。
カスピ海沿岸の天然ガスを利用して資源大国を目指し、輸出の5割を超える中華人民共和国とのパイプライン建設などを進めて、経済発展に成功した。1995年には国連総会で承認された永世中立国を宣言し、鎖国的な政策をとった。1997年にはドイツで心臓のバイパス手術を、2005年には眼の手術を受け、糖尿病も患っていたとされる。2005年には、自らは候補者とならない大統領選挙を2009年に実施すると発表して各国を驚かせたが、すぐに国民評議会が、国父は二人も必要としないとして選挙は不要とした。2006年12月21日未明に急死し、政府は心停止による急死と発表した。66歳だった。副首相だったグルバングル・ベルディムハメドフが大統領代行から第2代大統領に就任して、後継者問題は収まり、その後は脱ニヤゾフ化政策が進められた。
同じ年に亡くなった人物
- ピーター・オスグッド (2006年没)
- ロバート・メリフィールド (2006年没)
- Zdravko Rajkov (2006年没)
- ユイセ・レスキネン (2006年没)
- トレビゾンダ・ヴァッラ (2006年没)
同じ地域に関係する人物
- メンメトゥエリ・ケミネ (1840年没)
- ヴェリ・ムハトフ (2005年没)
- ベルディ・ケルババエフ (1974年没)
- ムハメットナザル・ガプロフ (1999年没)
- ドゥルディ・バイラモフ (2014年没)