伝記
レーニエ3世は、1923年5月31日にモナコ公宮殿で生まれ、1949年からモナコ公国の公を務めた。ポリニャック伯爵ピエールと、ヴァランティノワ女公シャルロットの長男である。母はモナコ公ルイ2世の娘だった。2歳年上の姉アントワネットがいた。フランス、スペイン、ドイツ、イングランド、スコットランド、オランダ、イタリアの血を引き、祖先には、スコットランド王ジェームズ4世、ナポレオンの養女ステファニー・ド・ボアルネ、オラニエ公ウィレム1世、デンマーク王フレゼリク2世などがいる。母方の祖父であるルイ2世が名づけの親になった。
1933年に両親が離婚すると、イングランドに送られ、のちにバッキンガムシャーの私立学校ストウで学んだ。続いてスイスのル・ロゼ学院、モンペリエ大学に進み、文学のバカロレアを取得し、パリ政治学院にも進んだが卒業はしなかった。第二次世界大戦では、祖父ルイ2世がペタン元帥の方針に近い政策をとったことを埋め合わせようと、フランス軍に志願兵として加わった。アルジェリア狙撃兵連隊の二等兵として、アルザス戦に参加して戦功十字章とアメリカの青銅星章を受け、のちに大佐まで進んだ。1947年には軍功によりレジオンドヌール勲章の騎士に叙された。1953年にはツール・ド・フランス・オートモビルに偽名で参加して木に衝突する事故を起こしており、ラリーへの情熱は強かった。母が継承権を放棄したため、祖父から世子に指名された。
1949年5月9日にルイ2世が亡くなり、モナコ公に即位した。この頃、女優のジゼル・パスカルと交際していた。カンヌ映画祭で知り合ったアメリカの女優グレース・ケリーと恋に落ち、1956年1月5日に婚約を発表し、4月18日に法的な結婚式、翌19日にサン・ニコラ大聖堂でカトリック式の挙式を行った。この様子はヨーロッパ各国で生中継され、世界中の注目を集めた。1957年にカロリーヌ公女、1958年に後継者のアルベール公世子、1965年にステファニー公女が生まれた。
治世は50年余りに及び、新たな憲法を整え、国営企業のモンテカルロ海水浴協会を通じて、賭博以外にも経済の基盤を広げた。海を埋め立てて国土を広げ、都市が大きく変貌したことから「建設公」と呼ばれた。1982年9月14日、公妃グレースが南仏の別荘から自ら運転して戻る途中に脳梗塞を起こし、急カーブで車ごと崖を約40メートル転落して亡くなった。レーニエ3世は深く悲しんだが、その後も公としての務めを続けた。自動車好きで、自動車博物館を所有して公開し、モナコグランプリでは、レース前に公妃を乗せたオープンカーを運転してパレードした。
2004年の初めに冠状動脈疾患で入院し、10月には肺感染症で再び入院した。2005年3月21日に集中治療室に移され、23日には心不全と腎不全で人工呼吸の状態になった。3月31日からは、アルベール公世子が摂政として職務を代行した。4月6日、肺感染症などにより世を去り、後継者のアルベール公世子がアルベール2世として即位した。長女のカロリーヌはハノーファー王子エルンスト・アウグスト5世の妃となった。2014年には、公妃の半生を描いた映画『グレース・オブ・モナコ 公妃の切り札』が作られ、ティム・ロスがレーニエ3世を演じている。
同じ年に亡くなった人物
- サンドラ・ディー (2005年没)
- コンスタンス・カミングス (2005年没)
- Marc Freiberger (2005年没)
- ドン・アダムス (2005年没)
- ヤン・ノヴァク=イェジォランスキ (2005年没)
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