伝記
ソール・ベローは、本名をソロモン・ベローズといい、1915年7月10日にカナダのケベック州ラシーヌで生まれたアメリカの小説家である。ロシアのサンクト・ペテルブルクからの貧しいユダヤ系移民の子で、両親は彼が生まれる2年前に移住していた。上に姉ゼルダ、兄モイシェ、兄シュムエルがいた。家はリトアニア系のユダヤ人の家柄で、父アブラハムの生まれは、ユダヤ人居住地域の小さな町だった。本人は6月10日を誕生日として祝っていたが、記録では7月10日に生まれたらしい。8歳のとき呼吸器の感染症で長く病んだことが、自立心を養い、読書への飢えを満たす機会にもなった。『アンクル・トムの小屋』を読んで、作家になると決めたとされる。
1924年、9歳のときに家族とともにシカゴのユダヤ人地区、西部のフンボルト・パーク地区に移住した。シカゴは、のちに多くの小説の背景となる街である。父はタマネギの輸入商となったが、パン屋や石炭の配達、酒の密造にも関わった。母は信仰の厚い人で、末の息子のソールにラビか演奏家になってほしいと望んだが、17歳のときに亡くなった。彼は宗教的な育ちの「息の詰まる正統主義」に反発し、早くから書き始めた。4歳でヘブライ語を覚え、聖書への愛は生涯続いたという。シェイクスピアや19世紀のロシアの大作家たちも読んで育った。
シカゴ大学に入ったのち、ノースウェスタン大学に移り、社会学と文化人類学を学んで、優等で卒業した。英文学科が反ユダヤ的だと感じたため、文学ではなく人類学を選んだ。この学問は文体にも影響を与えたとされる。のちにウィスコンシン大学の大学院で人類学を学んだ。学生時代は熱烈なトロツキストでもあり、1930年代にはシカゴの連邦作家計画に参加し、ここにはリチャード・ライトやネルソン・オルグレンもいた。1941年には、軍に志願しようとして、子どものころの移住が不法だったことを知り、その後アメリカ市民権を得た。ミネソタ大学、プリンストン大学、シカゴ大学、バード大学、ニューヨーク大学などで教えた。
1944年、入隊を控えた男の異常な心理を実存主義的な手法で描いた『宙ぶらりんの男』でデビューした。以後、『ハックルベリー・フィンの冒険』の20世紀版と目される『オーギー・マーチの冒険』(1953年)、『ハーツォグ』(1964年)、『サムラー氏の惑星』(1970年)で全米図書賞を三度受賞し、フィクション部門でこの賞を3回受けた唯一の作家となった。『フンボルトの贈り物』(1975年)でピューリッツァー賞を受賞し、1976年にはノーベル文学賞を受賞した。選考委員会は、豊かな悪漢小説と文化の鋭い分析の混じり合いを称えた。1952年にはアイザック・シンガーの短編「馬鹿のギンペル」をイディッシュ語から英語に翻訳している。ほかに『この日をつかめ』(1956年)、『雨の王ヘンダソン』(1959年)、『学生部長の十二ヶ月』(1982年)などがあり、1988年には国家芸術勲章、1990年には全米図書財団の生涯功労賞を受けた。本人は、登場人物のうちヘンダソンが自分に最も似ていると語っている。2005年4月5日、マサチューセッツ州の自宅で、89歳で没した。
同じ年に亡くなった人物
- キャーズム・コユンジュ (2005年没)
- Wladimiro Calarese (2005年没)
- ユージェニア・チャールズ (2005年没)
- ラッキー・トンプソン (2005年没)
- ニャシンベ・エヤデマ (2005年没)
同じ地域に関係する人物
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- ハロルド・ユージン・エジャートン (1990年没)
- ハリエット・クインビー (1912年没)
- エドワード・S・モース (1925年没)
- エドワード・ベラミー (1898年没)