伝記
ハンス・アルプレヒト・ベーテは、1906年7月2日に生まれ、2005年3月6日に没したアメリカの物理学者である。シュトラスブルク(当時ドイツ領、現在のフランスのストラスブール)出身のドイツ系移民で、業績はきわめて多岐にわたる。もっとも重要なものは、1939年に、恒星の内部のエネルギーが核融合反応から生じることを明らかにしたことである。1967年に「原子核反応理論への貢献、特に星の内部におけるエネルギー生成に関する発見」により、ノーベル物理学賞を受けた。
ストラスブール大学の生理学の教授だった父アルプレヒトと、母アンナの一人息子として生まれた。母の父は同じ大学の教授で、母にはユダヤ系の祖先がいたが、ベーテ自身は父と同じくプロテスタントとして育ち、のちに無神論者になった。父が1912年にキール大学の教授と研究所長になると、一家は研究所の官舎に移り、1915年には、父がフランクフルト大学の生理学研究所の所長となったため、フランクフルトに移った。1916年に結核にかかって学業を中断し、保養地で回復を待った。フランクフルト大学には1924年に入って、初めは化学を専攻しようとしたが、物理の教育が手薄で、実験は苦手で、白衣に硫酸をこぼしてだめにしたこともあった。助教授のヴァルター・ゲルラッハの講義する高度な物理を面白く感じ、後任のカール・マイスナーの勧めで、理論物理学のすぐれた学派があるミュンヘン大学に移り、1926年4月にアルノルト・ゾンマーフェルトのもとで学び始めた。博士論文では、結晶による電子の回折を扱った。
ミュンヘン大学で博士号を得たのち、ケンブリッジ大学などで研究員を務め、テュービンゲン大学の教職員となった。ユダヤ系だったため、ナチスが政権を握った1933年にドイツを去ってイギリスへ逃れ、マンチェスター大学で講師を務め、1935年にアメリカのコーネル大学の教授となった。1931年にはベーテ仮設を考案した。これは1次元の量子系の厳密解を求める手法で、ハイゼンベルク模型の厳密解を求める中で見いだされ、今日では超弦理論から超伝導に至る様々な領域に応用されている。
第二次世界大戦の間は、ロバート・オッペンハイマーに招かれて、カリフォルニア大学バークレー校での特別夏季会議に参加した。そこでは原子爆弾の最初の概略が議論された。オッペンハイマーがロスアラモスに秘密の研究所を開くと、ベーテは理論部門の責任者に任命された。戦後、水素爆弾の開発計画には反対したが、トルーマン大統領が開発を宣言し、朝鮮戦争が起こると計画に参加して、開発で重要な役割を果たした。のちにはアインシュタインらとともに核実験や軍拡競争に反対する運動も行ったとされる。
荷電粒子のエネルギー損失に関するベーテの公式や、原子核の結合エネルギーに関するワイツゼッカー=ベーテの質量公式でも知られる。戦後間もなく、ラムシフトについて、非相対論的な概算ながら極めて正確な計算を導き、弟子のリチャード・ファインマンやフリーマン・ダイソンらによる量子電磁力学の完成に決定的な寄与をした。80代になっていた1990年にも、太陽ニュートリノ問題に関する重要な論文を発表した。1957年に王立協会の外国人会員に選ばれ、1975年にアメリカ国家科学賞を受けている。
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