伝記
ローザ・ルイーズ・マコーリー・パークスは、1913年2月4日、アラバマ州タスキーギで、大工の父ジェイムズ・マコーリーと、教師の母レオーナの間に生まれたアメリカの公民権運動の活動家である。両親はほどなく離婚し、農業を営む母と母方の祖父母のもとで弟のシルベスターとともに育ち、生涯所属するアフリカン・メソジスト・エピスコパル教会の信徒になった。母は11歳になるまで教育を施し、1924年に州都モンゴメリーの女子職業学校に入れたが、学校は1年後に閉鎖され、別の中学やアラバマ州立の黒人師範大学の附属校で学んだ。16歳で縫製工場に就職し、1932年に黒人理容師のレイモンド・パークスと結婚した。夫の勧めで高校課程を修了した。夫は全米黒人地位向上協会の会員で、彼女も第二次世界大戦後に同協会モンゴメリー支部の書記を務めた。それは専業ではなく、収入を得るために何度も転職し、1955年には百貨店で裁縫の仕事をしていた。
当時のアラバマ州をはじめとする南部諸州にはジム・クロウ法と呼ばれる人種分離の法があり、あらゆる場所で黒人と白人が隔てられていた。バスでも同じで、前方が白人席、その次の列から後方が黒人席だったが、運転手は境界を後方に動かすことができた。1955年12月1日の18時ごろ、42歳だったローザは、仕事を終えて帰宅するため市営バスに乗った。黒人席の最前列に座っていたが、白人の乗客が増えると、運転手のジェームズ・F・ブレイクは境界を一列ずらし、座っていた黒人4人に立つよう命じた。3人は席を空けたが、ローザは立たなかった。「なぜ立たないのか」と問われて「立つ必要は感じません」と答えた。後年の自伝では、疲れていたから立たなかったのではなく、屈服させられることに我慢できなかったからだと述べている。ブレイクが警察に通報し、ローザは市条例違反で逮捕された。拘置所に入れられたが即日保釈され、のちに罰金刑を宣告された。
逮捕の知らせが伝わると、着任したばかりの牧師で当時26歳だったマーティン・ルーサー・キング・ジュニアらが立ち上がり、モンゴメリーの全黒人にバス・ボイコットを呼びかけた。以前にも黒人が同様に逮捕されたことはあったが、素行の悪い者が多く、運動は盛り上がらなかった。ローザはまともな職業婦人で同協会の書記でもあったため、関係者が迅速に動いたとされる。利用者の75%以上を占める黒人がバスに乗らず、市は経済的に大きな打撃を受けた。ローザ側は市条例違反の判決に控訴し、1956年11月に連邦最高裁判所はバス車内の人種分離を違憲とした。ボイコットは381日間続き、判決の翌日に収束した。この運動を契機に、キングは各地の公民権運動を指導し、1963年8月28日のワシントン大行進につなげた。
ローザは地元に居づらくなり、1957年にデトロイトへ移った。1965年から1988年まで、ミシガン州選出の下院議員ジョン・コンヤーズのスタッフを務めた。1977年に夫のレイモンドが亡くなり、1987年には青少年の人権教育のためのセンターを創設した。1999年に連邦議会から議会名誉黄金勲章を贈られた。2005年10月24日、デトロイトの自宅で老衰により死去した。議会からは「公民権運動の母」と呼ばれた。
同じ年に亡くなった人物
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- ラルフ・アースキン (2005年没)
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