HISTORICAL PERSON · 1617年没

ポカホンタス

ポウハタン族の酋長の娘。1612年に入植者の人質となり、洗礼を受けて1614年にジョン・ロルフと結婚し、数年間の和平をもたらした。1616年に渡英して注目を集め、1617年に没した。

生涯
1617年没
死亡地
イギリス連邦(ケント / グレイヴズエンド)
出生地
アメリカ合衆国(Werowocomoco)
出典
世界地図
イギリス連邦(ケント)

伝記

ポカホンタスは、ネイティブアメリカンのポウハタン族の女性で、1595年頃に生まれ、1617年に世を去った。本名はマトアカまたはマトワといい、「ポカホンタス」は、戯れ好きな性格から付いた「お転婆」「甘えん坊」を意味する幼少時のあだ名だった。英名はレベッカ・ロルフである。ネイティブアメリカンは文字を持たなかったため、彼女の考えや感情は分からない点が多い。

1595年頃、ポウハタン連邦の高名な調停者であるポウハタン酋長の娘として、テナコマカという集落で生まれた。1607年、ポウハタン族の領土に、イギリス人がヴァージニア植民地を築いた。ジョン・スミスは元兵士で船乗り、ジェームズタウンの建設に関わり、のち植民地の指導者となった人物である。ポウハタン族は入植者と和平を結んで食糧を援助し、1608年冬にジェームズタウンが飢餓に陥ったときも食料を届けた。スミスは、ポカホンタスの死後の1624年以後、1607年12月にポウハタン族に捕らえられ、処刑されかけたところを、酋長の娘ポカホンタスが身を投げ出して命乞いをして助かったという話を書くようになった。しかし当時ポカホンタスはわずか11歳で、スミスもその年に着いたばかりで古い仲ではなく、この話は作り話と思われる。歴史家には、部族採用の儀式だったのではないかと説明する者もいる。ポウハタン族は、この話を全くの作り話として公式に否定している。

やがて入植地の拡大はネイティブアメリカンの生活を圧迫し、スミスらが食料を求めて人質を取ったことで、両者の関係は悪化した。1612年、イギリス人たちは、酋長の娘ポカホンタスを人質にすれば部族が屈服すると考え、捕らわれた入植者の身代わりとして彼女を誘拐した。解放の条件として、イギリス人捕虜の解放、盗まれた武器の返還、トウモロコシによる多額の賠償が示された。彼女には通訳として役立てるため英語が教えられ、ジェームズタウンに教会を建てたアレクサンダー・ウィテカーから洗礼を受けさせられた。この時期に、妻を亡くしたタバコ農園主ジョン・ロルフの目にとまり、ロルフは1614年4月5日に彼女と結婚して、名をレベッカ・ロルフと改めた。二人はジェームズ川沿いのロルフの農場で暮らし、この結婚は、白人が期待した捕虜の奪還にはつながらなかったものの、ジェームズタウンとポウハタン族の間に数年の和平をもたらした。農場で息子トーマスを生んだ。

ヴァージニア植民地の出資者たちは、彼女を宣伝の材料にした。1616年、夫とともにイングランドに渡り、翌年までブレントフォードに住んで国王ジェームズ1世に謁見し、「ネイティブアメリカンの姫」として紹介されて大きな評判となった。ただ、酋長は王や皇帝とはまったく違う立場であり、「姫」「王女」という紹介は誤りである。帰国の船旅の途中、ケント州グレーブゼンドで病気になり、23歳前後で死去した。病気は天然痘、肺炎、結核などといわれ、ポウハタン族の一氏族マッタポニ族は、毒殺の形跡を指摘している。葬儀は1617年3月21日にグレーブゼンドの聖ジョージ教会で行われた。のちに教会の改装で墓は壊され、現存しないが、敷地には銅像がある。ロルフは幼いトーマスを残してヴァージニアへ戻った。

19世紀までに、彼女は「野蛮な酋長から白人を救った」存在として、合衆国の重要な象徴となった。歴史家のカミラ・タウンゼンドらは、それでもポカホンタスがジェームズタウンで重要な役割を果たしたことは間違いないとし、彼女はポウハタン族の平和の象徴だったと述べる。

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