伝記
バシリナは、ユリウス・コンスタンティウスの妻で、のちのローマ皇帝ユリアヌス(在位361〜363年)の母である。小アジアでギリシャ人として生まれ、生年は不明だが、310年ごろとも推測されている。父はカエイオニウス・ユリアヌス・カメニウスとも、ユリウス・ユリアヌスともいわれ、後者の可能性が高いとされる。このユリウス・ユリアヌスは、324年まで皇帝リキニウスに仕えた東方の親衛隊長官と同一視されることが多く、325年の執政官と同じ人物かもしれないという。彼女には兄弟がいて、同じくユリアヌスという名で、のちに息子の治世に東方総督となった。また姉は、のちにウァレンスに対して簒奪を試みたプロコピウスの母である。
バシリナは、父の家で育った宦官マルドニウスから、ホメロスやヘシオドスなど古典の教育を受けた。このマルドニウスは教養の高いゴート人で、のちに息子ユリアヌスの教師にもなった。彼女はコンスタンティヌス1世の異母弟ユリウス・コンスタンティウスの二人目の妻となった。結婚は、新しい首都コンスタンティノープルが奉献された330年の直後、その地であったとされる。331年ごろに同地で一人息子のユリアヌスを産んだが、それから数か月で亡くなった。没年は332年とも333年ともいわれ、まだ若かったとされる。
バシリナはキリスト教徒であった。ニコメディアの司教エウセビオスの親戚で、このエウセビオスは彼女の息子の家庭教師でもあった。そのつながりから、はじめはアリウス派を支持し、宮廷での影響力をその側に用いたと見られる。アタナシオスは、アドリアノポリスの司教エウトロピオスがアリウス派に反対して失脚したのは、彼女の宮廷での影響力のせいでもあると非難している。しかし彼女は遺言で、自分の土地をエフェソスの教会に遺贈した。このことから、晩年には正統派を選んだに違いないとも考えられている。息子のユリアヌスは、のちにビテュニアの都市に母の名をつけ、バシリノポリスと呼んだ。この都市は現在のトルコのゲムリク近郊、パザルキョイにあたる。
同じ年に亡くなった人物
- 聖ヘレナ (330年没)
- フラウィア・ユリア・コンスタンティア (330年)
- Publilius Optatianus Porfyrius (330年(推定))
- 聖アキリウス (330年)
- ティリダテス3世 (330年)
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