HISTORICAL PERSON · 2004年没

ジャネット・リー

アメリカの女優。ヒッチコック監督の『サイコ』での演技でアカデミー助演女優賞にノミネートされ、この作品が最も有名な出演作となった。

生涯
2004年没
死亡地
アメリカ合衆国(カリフォルニア州 / ビバリーヒルズ)
出生地
アメリカ合衆国(マーセド)
出典
世界地図
アメリカ合衆国(カリフォルニア州)

伝記

ジャネット・リーは、本名をジャネット・ヘレン・モリソンといい、1927年7月6日、カリフォルニア州マーセドに生まれたアメリカの女優である。母方の祖父母はデンマークからの移民で、父はスコッツ・アイリッシュとドイツの血を引いていた。生後まもなく一家はストックトンに移り、少女期をそこで過ごした。父は工場で働いて家族を養おうとしたが暮らしは貧しく、大恐慌の後はさまざまな副業をしたという。長老派の教会で育ち、子供のころは地元の教会の聖歌隊で歌った。学業に優れ、16歳で高校を卒業し、ストックトン・カレッジを経て、1943年9月にパシフィック大学に入って音楽と心理学を専攻した。家計を助けるため、クリスマスや夏の休暇には商店で働き、学期中は大学の案内所でも働いた。大学では合唱団でも歌い、1947年の初めには南カリフォルニア大学の夜間の授業にも登録している。

転機は1946年2月に訪れた。女優ノーマ・シアラーが、リーの両親が働いていたシエラネバダ山脈のスキー場で休暇を過ごした際、ロビーに置かれたアルバムの中の一枚の写真に目を留めた。クリスマス休暇に父が撮ったもので、ゲストが自由に見られるように置いてあったものである。ロサンゼルスに戻ったシアラーは、メトロ・ゴールドウィン・メイヤー社のタレント担当者ルー・ワッサーマンにその写真を見せた。のちに、その笑顔が、ここ何年かで最も魅力的な顔だったと語っている。リーは演技の経験がないままスクリーンテストを受け、会社と契約した。この年に大学をやめ、演技指導者のもとで学んだ。ラジオドラマへの出演を経て、映画には、南北戦争を描いた大作『ロージー・リッジの恋』(1947年)で、人気スターのヴァン・ジョンソンの相手役としてデビューした。

その後、『若草物語』(1949年)などに出演し、1951年にはトニー・カーティスと結婚した。それまでに、15歳での駆け落ちが4か月で破局し、19歳で大学の同級生と再婚するという、二度の結婚をしていた。カーティスは三番目の夫で、結婚は1962年までの11年間続き、二人の間には、女優のジェイミー・リー・カーティスとケリー・カーティスが生まれた。1954年にメトロ・ゴールドウィン・メイヤー社を離れ、ユニバーサルやコロンビアと契約した。1960年には、アルフレッド・ヒッチコックの『サイコ』のマリオン・クレインを演じ、アカデミー助演女優賞にノミネートされ、ゴールデングローブ賞を受賞した。有名なシャワーシーンから、今日では「絶叫クイーン」の一人とされ、同年にはハリウッドの殿堂に星を刻まれた。娘のジェイミー・リー・カーティスもまた、『ハロウィン』(1978年)の演技で同様に呼ばれる。

1962年に四番目の夫ロバート・ブラントと結婚し、『影なき狙撃者』(1962年)などに出演したのち、仕事の量を減らした。1975年にはブロードウェイに初めて出演し、同年、ピーター・フォーク主演の『刑事コロンボ』に犯人役で出演した。女優業への復帰に反対した夫の内科医を射殺する往年のミュージカル女優を演じ、作品としての評価も高い。のちに娘とも共演した。女優業のかたわら、カーティスとともに制作会社を設立し、1984年から2002年にかけて4冊の本を書いた。2004年10月3日、ビバリーヒルズの自宅で、家族に囲まれて77歳で亡くなった。

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