伝記
ジョン・アンソニー・ポープルは、1925年10月31日にイングランド南西部サマセットのバーナム・オン・シーで生まれたイギリス出身の理論化学者で、のちにはおもにアメリカで活動した。ブリストル・グラマー・スクールで学び、12歳のころから数学に関心を持った。1943年にケンブリッジ大学トリニティ・カレッジの奨学金を得たが、1945年から1947年まではブリストル航空機会社で働いている。1951年に学位を得たのち、研究者としてトリニティ・カレッジに残り、1954年からはケンブリッジの数学科の教員となった。学位は化学と数学の両方で取得したとされ、ジョン・レナード=ジョーンズに師事した。博士論文のテーマは水の統計力学で、その最初の論文は長年にわたって参照され続けたという。
1958年に、ロンドン近郊の国立物理学研究所に移り、物理の新しい基礎を扱う部門の長となった。1961年には王立協会のフェローに選ばれた。1961年から1962年にかけてカーネギー・メロン大学で研究休暇を過ごし、1964年に同大学の物理化学科の教授としてアメリカへ渡り、その後は亡くなるまでアメリカで暮らしたが、イギリスの市民権は保った。のちにノースウェスタン大学の化学教授となり、移った年は1986年とする資料と1993年とする資料がある。自分を化学者よりも数学者だと考えていたが、理論化学者の間では最も重要な一人とみなされている。
初期には核磁気共鳴の理論も研究し、1959年に共著で高分解能核磁気共鳴の教科書を著した。主な業績は、分子軌道法の理論を築いたことである。1953年にルドルフ・パリサー、ロバート・パールとともに、π電子系の近似法であるPPP近似を考案した。1965年ごろからは、分子の主要な価電子全体をあつかう微分重なり完全無視法や中間無視法という半経験的な分子軌道法を開発した。1970年にはデヴィッド・ベヴァリッジと近似的な分子軌道理論の本を著した。
ただ半経験的な方法には、複数のパラメータの信頼性を同時に高めにくいことや、d電子系への応用が難しいという欠点があった。これを克服する手法として、非経験的分子軌道法の開発を進め、1970年に最初のガウシアン70を開発した。ガウシアンは量子化学交流プログラム機構を通じて世界に広まり、4年ごとの改訂で、ウォルター・コーンの提唱した密度汎関数法を取り入れるなど改良が続いた。今日、非経験的計算のプログラムとして最も広く使われている。さまざまな分子で方法を厳密に評価する「モデル化学」という考え方は、彼の独創的な貢献の一つとされる。1991年にはガウシアンの仕事を離れ、数年後に別の計算化学のプログラムを仲間と開発した。この離脱と、その後に彼を含む多くの著名な科学者がソフトウェアの使用を禁じられたことは、量子化学の世界で大きな論争を呼んだ。
1998年に「量子化学における計算化学的方法の展開」でノーベル化学賞を受賞し、賞の残り半分は、密度汎関数法を発展させたウォルター・コーンに贈られた。2002年にコプリ・メダルを受け、2003年にエリザベス女王からナイトに叙された。2004年3月15日、フロリダ州サラソタの自宅で没した。ブリストル・グラマー・スクールには、彼の名を冠した情報室と奨学金がある。
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