伝記
エリザベス・キューブラー=ロスは、1926年7月8日にスイスのチューリッヒで、三つ子姉妹の長女として生まれ、のちにアメリカで活躍した精神科医である。父は娘が医学部へ進むことに反対だった。そのため学費を自分で捻出しようと、専門学校を経て検査技師として働いた。1957年、31歳のときにチューリッヒ大学医学部を卒業している。医学部の学生時代に知り合ったアメリカ人留学生のマニー・ロスとともに、学業を続け、仕事を探すために、1958年にアメリカへ渡った。
医療の現場に立った彼女は、病院が死に瀕した患者を扱う態度に愕然とした。そこで、病気の患者をどう扱うべきかについて一連の講義を始め、これが1961年の死と死ぬことについての講義につながった。1963年にはコロラド大学で精神科医の単位を取得し、1965年からシカゴ大学医学部に移って、臨床的な研究を発展させた。死の間際にある患者との関わりを通して、1969年に『死ぬ瞬間』を著し、いまでは「死の受容のプロセス」と呼ばれるモデルを初めて提唱した。患者の心が、死を疑う否認と隔離、周囲への怒り、死を免れるための取引、何もできなくなる段階、そして最終的な受容の段階をたどるというもので、彼女自身は、すべての患者がこの経過をたどるわけではないとも書いている。悲哀とその仕事についての先駆的な業績としても知られる。
死をテーマにした本は20冊に上り、世界各地で講演を行った。1974年から1996年の間に、複数の大学から20の名誉博士号を贈られている。私財を投じて死に向かう患者のための施設を開設し、この活動はホスピス運動の先駆けのひとつと考えられている。彼女がホスピス運動を創始したわけではないが、推進した人々は、彼女によってこの運動にいのちが与えられたのだと口をそろえて語った。のちには死後の世界にも関心を向け、担当した患者が死に直面した際に体外離脱を経験し、その描写があまりに正確だったことから、魂の存在を認めるに至ったと語っている。
晩年はエイズ患者への関わりを深め、そのための新しい施設の開設を計画したが、近隣の住民との深刻な軋轢を生み、拠点は閉鎖と移転を余儀なくされた。拠点は原因不明の火事で全焼し、彼女は対立する住民による放火だと受け止めていた。1995年に脳梗塞で倒れて左半身が麻痺し、その苦悩を2002年の新聞のインタビューで語った。2004年8月24日、アリゾナ州スコッツデールの自宅で亡くなった。死後、モハメド・アリは、彼女が自己実現こそ人生の意味を理解する重要な要素だと教えてくれたと回想している。2005年には息子のケン・ロスが財団を設立している。財団は日本でも活動している。
同じ年に亡くなった人物
- スティーヴ・レイシー (2004年没)
- ヴァルター・フレンツ (2004年没)
- 加瀬泰治 (2004年没)
- ピエール・サリンジャー (2004年没)
- ミハイル・ボローニン (2004年没)
同じ地域に関係する人物
- ジミー・スミス (2005年没)
- ジェニファー・ウェルズ (2018年没)
- Bob Kenney (2014年没)
- ウィリアム・ミラー (陸上選手) (1977年没)
- ホット・ロッド・ハンドリー (2015年没)