HISTORICAL PERSON · 2003年没

セリア・クルス

キューバ系アメリカ人のサルサ歌手。キューバ革命後は帰国を拒んでアメリカを拠点に活躍し、ゴールドディスクを23度獲得した。「サルサの女王」と呼ばれた。

生涯
2003年没
死亡地
アメリカ合衆国(ニュージャージー州 / フォートリー)
出生地
キューバ(ハバナ州)
出典
世界地図
アメリカ合衆国(ニュージャージー州)

伝記

セリア・クルスは、1925年10月21日にキューバのハバナのサントス・スアレス地区で生まれた歌手である。本名はセリア・カリダド・クルス・アルフォンソという。父シモンは鉄道の火夫で、母カタリナ・アルフォンソ・ラモスは主婦であり、ドロレス、グラディス、バルバロの3人のきょうだいがいた。幼い子供たちを子守歌であやす役目を担ったことが、歌い始めたきっかけだったという。カフェの窓からダンスや楽団を眺めては、中に入りたくてたまらなかったが、その趣味を認めたのは母だけだった。父は娘を学校の教師にしたがったため、師範学校に進み、卒業の間際で退いて国立音楽院に入った。

そのころからハバナの共同住宅の中庭で踊り、素人参加のラジオ番組に出て、ケーキや銀の鎖といった賞をもらった。タンゴ『ノスタルヒア』を歌って、初めて15ドルの報酬を得た。やがていくつかの楽団で歌い、1948年にはロデリコ・ロドニー・ネイラが結成した踊り子と歌手の一座、ムラータス・デ・フエゴに歌手として加わって、メキシコやベネズエラでも公演した。1950年からは人気の楽団ソノーラ・マタンセーラの歌手となり、この結びつきは15年にわたって続いた。

1959年のキューバ革命でカストロ政権が成立した後は、世界ツアーからキューバへの帰国を拒み、アメリカに居を構えた。祖国を離れた年は1959年とも1960年ともいわれる。最初はメキシコで、のちにアメリカで活動を続け、アメリカを終の住まいとした。やがて亡命キューバ人社会の象徴であり代弁者となった。1970年代には、ファニア・オールスターズなどほかの音楽家との共演を通じて、本格的にサルサの世界へ入った。ステージでは「アスーカル(砂糖)!」と叫ぶのが決まり文句で、これは彼女を象徴する言葉として記憶されている。

ソン、グアラーチャ、ボレロなどの熱帯のリズムを国際的に広めたが、彼女をスターにしたのは、キューバのソンなどを混ぜ合わせたサルサだった。代表的な曲に『キンバラ』『ブルンダンガ』『ケ・レ・デン・カンデラ』『ラ・ビダ・エス・ウン・カルナバル』『ラ・ネグラ・ティエネ・トゥンバオ』などがあり、『ラ・ビダ・エス・ウン・カルナバル』は2021年にローリング・ストーン誌の「史上最高の500曲」の439位に選ばれた。スタジオ・アルバムは37枚で、ゴールドディスクを23回獲得し、グラミー賞を2回、ラテン・グラミー賞を3回受けた。アメリカの国家的な芸術の勲章「全米芸術勲章」も授与されている。映画『サルサ/灼熱のふたり』(1988年)や『マンボ・キングス/わが心のマリア』(1992年)にも出演した。「サルサの女王」「ラテン音楽の女王」などと呼ばれ、彼女が歌った曲のいくつかは、ラテンアメリカの文化遺産の一部になっている。

2003年7月16日、ニュージャージー州のフォート・リーで死去した。没後の2010年10月には、アメリカの公共ラジオ局が特別企画「50の偉大な声」の一人に選び、2015年にはその半生を描くテレビドラマも作られた。2011年5月にはアメリカ政府系の国際放送局が、英語学習者向けに紹介する15分の番組も放送している。

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