HISTORICAL PERSON · 2002年没

ジェームズ・コバーン

アメリカの俳優。『荒野の七人』『大脱走』などでタフな男を演じ、『白い刻印』でアカデミー助演男優賞を受賞した。

生涯
2002年没
死亡地
アメリカ合衆国(カリフォルニア州 / ビバリーヒルズ)
出生地
アメリカ合衆国(ローレル)
出典
世界地図
アメリカ合衆国(カリフォルニア州)

伝記

ジェームズ・コバーンは、1928年8月31日にネブラスカ州ローレルで生まれ、2002年11月18日に亡くなったアメリカ合衆国の俳優、ナレーター、声優である。正式な名はジェームズ・ハリソン・コバーン3世。45年間のキャリアで70を超える映画と100を超えるテレビドラマに出演し、荒削りで歯を見せて笑うタフな男を演じることが多かった。

父はジェームズ・ハリソン・コバーン・ジュニアで、スコットランドとアイルランドの血を引き、ローレルで自動車修理工場を営んでいたが、世界恐慌で失業した。母マイレットはスウェーデンからの移民とされる。コバーンはカリフォルニア州コンプトンで育ち、コンプトン・ジュニア・カレッジに通った。1950年にアメリカ陸軍に入隊し、トラックの運転手を務め、テキサス州の陸軍ラジオ局でディスクジョッキーを臨時で務めた。ドイツのマインツでは、陸軍の訓練用フィルムのナレーションも担当した。除隊後はロサンゼルス・シティ・カレッジでジェフ・コーリーやステラ・アドラーから演技を学び、ラ・ジョラ・プレイハウスの舞台『ビリー・バッド』でデビューした。テレビには1953年に初めて出演し、電気かみそりの広告では、11日分のひげを60秒足らずで剃ったという。

1959年、ランドルフ・スコット主演の西部劇に、悪役パーネル・ロバーツの手下役で映画デビューした。テレビの西部劇『ボナンザ』などにゲスト出演し、1960年から1961年にはNBCの『クロンダイク』でラルフ・テーガーらと共演した。映画では3本目の『荒野の七人』(1960年)が飛躍のきっかけとなり、ナイフの名手を演じた。友人ロバート・ヴォーンの推薦によるとされる。続いて、スティーブ・マックイーンと共演した『突撃隊』と『大脱走』に出演した。『シャレード』(1963年)では悪役のひとりテックスを、『卑怯者の勲章』(1964年)では口のうまい海軍将校を、『ダンディー少佐』(1965年)では片腕のインディアンを演じて名を高めた。

1966年にはジェームズ・ボンドのパロディ映画『電撃フリントGO!GO作戦』の主役で、スターの地位を確かなものにした。1971年にはセルジオ・レオーネ監督の『夕陽のギャングたち』に出演し、メキシコ革命のさなかのメキシコに現れたアイルランドの爆弾のプロを演じた。1973年にはサム・ペキンパー監督と組んで『ビリー・ザ・キッド/21才の生涯』に出演し、その後も『戦争のはらわた』でペキンパー作品に出た。1960年代後半から1970年代前半には「クール」なイメージを持たれ、リー・マーヴィンやマックイーン、チャールズ・ブロンソンと同様に「タフガイ」のスターとなった。アメリカで柔道を学んで黒帯を取得し、来日時には講道館を訪れ、ブルース・リーに武術やアクションを学んだともいう。

1978年にテレビに戻り、ダシール・ハメットの小説による3部構成のミニシリーズに出演した。だが関節リウマチを患い、1980年代の出演作は数えるほどしかなかった。やがて復帰し、『ヤングガン2』『ハドソン・ホーク』『天使にラブ・ソングを2』『ペイバック』などに出演した。『白い刻印』の演技が認められてアカデミー助演男優賞を受賞し、同作では全米映画俳優組合賞とインディペンデント・スピリット賞の候補にもなった。2002年11月18日、ビバリーヒルズの自宅で音楽を聴いているときに心筋梗塞で死去した。日本語吹き替えは、1960年代から小林清志が専属で担当し、訃報に接して「自分の分身がいなくなったような気がした」と回想している。

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