伝記
ドナルド・ジェームズ・クラムは、1919年4月22日にバーモント州のチェスターで生まれ、2001年6月17日にカリフォルニア州のパームデザートで没したアメリカ合衆国の化学者である。「自然分子の機能を模倣することのできる三次元分子の合成」の業績により、ジャン=マリー・レーン、チャールズ・ペダーセンとともに、1987年のノーベル化学賞を受賞した。
スコットランドからの移民の父と、ドイツからの移民の母のもとに生まれた。父はクラムが4歳になる前に亡くなり、クラムは5人家族の唯一の男子となった。家は扶養児童扶助の制度に支えられ、少年は幼い頃から働くことを覚えて、果物摘みや新聞配達、家の塗装などを引き受け、その見返りにピアノの授業を受けたという。18歳になるまでに、少なくとも18の違う仕事を経験した。ニューヨーク州ロングアイランドのウィンウッド高校に通い、1938年から1941年にかけてフロリダ州ウィンターパークのローリンズ大学と、ネブラスカ大学リンカーン校で学んで、1942年に学位を得た。1942年から1945年はメルク社の研究所で化学研究に携わり、恩師マックス・ティシュラーのもとでペニシリンの研究を行った。1947年には、ルイス・フィーザーの指導のもとでハーバード大学から有機化学の博士号を取得した。博士号を得たのちは、アメリカ化学会のポスドク研究員として、マサチューセッツ工科大学のジョン・D・ロバーツのもとで研究した。
1947年からカリフォルニア大学ロサンゼルス校で教え、1956年に教授となった。クラムは、チャールズ・ペダーセンが切り拓いたクラウンエーテルの合成の研究を発展させた。ペダーセンの仕事は、イオンや特定の金属原子を認識し、選択的に結合する、基本的には二次元の分子を合成するものだったが、クラムはそうした性質を持つ三次元の分子をつくった。三次元構造の相補性によってさまざまな分子を選択的に取り込む一連の超分子も設計した。その成果は、特徴的な構造に基づく特別な働きをする人工酵素などの開発につながった。立体化学の研究も行い、自身の名を冠した「非対称性の誘導に関するクラムの規則」は、のちに立体選択的な反応を理解する「クラム則」として用いられた。350編を超える研究論文と、有機化学に関する8冊の本を著した。
研究者であるだけでなく人気のある教師でもあり、一生のうちに約8000人の学部生と200人の大学院生を教え、21か国の大学院生やポスドクを指導した。授業ではギターを弾き、フォークソングを歌って場を盛り上げたという。自分自身を笑いの種にする人柄で、研究は信念とぼんやりしたアイデア、少しの突飛な実験から始まり、否定的な結果と肯定的な結果の相互作用が研究を進めて、終わったときにようやくどう始めどう進めるべきだったかがわかる、という趣旨の言葉が伝わる。1974年にアーサー・C・コープ賞、1975年にセンテナリー賞、1985年にロジャー・アダムス賞とウィラード・ギブズ賞、1989年にグレン・T・シーボーグ・メダル、1992年に米国科学アカデミー賞の化学部門、1993年にアメリカ国家科学賞を受けた。
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