伝記
ウォルター・マッソーは、1920年10月1日にニューヨーク市のローワー・イースト・サイドで生まれ、2000年7月1日にカリフォルニア州サンタモニカで亡くなったアメリカ合衆国の俳優である。本名はウォルター・ジョン・マッソウ。マンハッタンで育った。
父ミルトンはロシア出身の電気工、母ローズはリトアニア出身で菓子店に勤めており、両親ともユダヤ系の移民であった。父は彼が3歳のころに家族を捨て、一家は貧しいアパートに移った。母は繊維業界で働き、ウォルターも新聞配達などをして家計を助けた。子どものころにはユダヤ系の非営利のキャンプに参加し、土曜の夜の出し物で初めて演技をした。イディッシュ劇場街の軽食店でレジ係として短期間働いたこともある。ふだんから周囲が冗談か本気か分からないような話し方をする人で、自分のミドルネームはフォグホーンで、リトアニア正教の司祭の息子だという噂を、自ら流したこともあったという。
コロンビア大学でジャーナリズムを学ぶかたわら、ニュー・スクールの演劇ワークショップでドイツ人演出家エルヴィン・ピスカートルに演技を学んだ。第二次世界大戦中は空軍に従軍し、イギリスに駐留した第8空軍で、B-24爆撃機の無線手を務めた。軍曹の階級で終戦を迎え、除隊後にアメリカへ戻って俳優の道を続けた。ブロードウェイでの最初の仕事は1949年で、80歳のイギリス人司教の代役だった。以後は舞台で尊敬される俳優となり、1962年には『ア・ショット・イン・ザ・ダーク』の演技で、トニー賞の主演男優賞を受けたとされる。テレビにも多数出演し、1952年にはコメディ番組『ミスター・ピーパーズ』の試験版にも出た。理由は不明だが、このときはレナード・エリオットという名で出演している。
1955年、バート・ランカスターが自ら手がけた西部劇『ケンタッキー人』で映画デビューした。ビリー・ワイルダーが同じ年に彼を映画に起用しようとしたが、製作会社の幹部が新人に重要な役を与えることに納得せず、実現しなかった。その後もエルヴィス・プレスリーの映画で悪役を演じ、カーク・ダグラスと共演した『孤独な勇者』(1962年)では理解のある保安官を、『シャレード』(1963年)ではオードリー・ヘプバーンやケイリー・グラントと共演した。
ジャック・レモンと組んだコメディ映画や刑事物のアクション作品で有名となった。レモンとは10本の映画で共演し、『おかしな二人』(1968年)やビリー・ワイルダー監督の『フロント・ページ』(1974年)などが知られる。1966年の『恋人よ帰れ!わが胸に』でアカデミー助演男優賞を受賞し、『コッチおじさん』と『サンシャイン・ボーイズ』では主演男優賞の候補になった。『サンシャイン・ボーイズ』ではゴールデングローブ賞の主演男優賞(ミュージカル・コメディ部門)を受けた。同賞には、このほか『おかしな二人』『おかしな結婚』『フロント・ページ』などでも候補に挙がった。1965年には舞台版の『おかしな二人』にも出演している。
1959年に女優キャロル・グレースと結婚した。一人息子のチャールズは映画監督となり、息子の作品に出演したこともある。
同じ年に亡くなった人物
- Ernesto Albarracin (2000年没)
- ンダバニンギ・シトレ (2000年没)
- ジョセフ・ウェーバー (2000年没)
- ロレッタ・ヤング (2000年没)
- アルフォンス・アラート (2000年没)
同じ地域に関係する人物
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- ボブ・ヘイスティングス (2014年没)
- スペンサー・トレイシー (1967年没)
- メイ・ウィッティ (1948年没)
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