伝記
ルイ・ウジェーヌ・フェリックス・ネールは、1904年11月22日にリヨンで生まれ、2000年11月17日にフランス中部のブリーヴ=ラ=ガイヤルドで没した物理学者である。1928年ごろから物質の磁気的な性質を研究し、反強磁性とフェリ磁性を発見して、1970年にノーベル物理学賞を受けた。反強磁性の構造が常磁性の構造に変わる温度は「ネール温度」と呼ばれ、その名を残している。
リヨンの高校を経てパリのサン=ルイ高校の準備級に進み、1924年に高等師範学校に入った。1928年には教授資格試験を首席で通り、ストラスブール大学でピエール・ワイスの指導のもと、高温における鉄の磁気的性質を扱う論文の準備を始めた。1932年に同大学で学位を取り、1937年から1945年まで同大学の教授を務めた。当時の研究者は物質を、反磁性、常磁性、強磁性の三つに大別していたが、常磁性とも強磁性とも言えない物質があった。それが、原子の磁気モーメントが互いに反平行に並んで打ち消し合う反強磁性体で、その発見は1936年とされる。強磁性体のキュリー温度に対応する、反強磁性体のネール温度という概念が生まれた。
第二次世界大戦が始まると、ネールは動員されてクレルモン=フェランに赴き、大学を戦争に協力させる国の機関の任務に就いたのち、海軍研究センターで働いた。それ以前にも、ストラスブールの研究室に残された重く貴重な機器を前線から遠ざけるため、同僚のシャルル・サドロンの助けを借りて、貨車3両分をムードンへ移していた。海軍研究センターでは、ドイツ軍が海中に置いた磁気機雷からフランスの艦船を守る研究に取り組み、短期間で磁気機雷を無力化する方法を完成させた。これは、船体を脱磁するため、船倉に大きなコイルを置いて船体の磁場を打ち消すものである。彼の指揮のもとでこの装置は640隻に取り付けられ、うち磁気機雷で沈んだのは1隻だけだったという。叙勲の記録には、1940年の青銅棕櫚葉付がある。
センターが解散されると、占領されていない地域に移ってストラスブールへの帰還を待つことにし、産業が盛んで実験室を使える可能性があるグルノーブルを選んだ。ここで助手のルイ・ヴェイユ、静電気の専門家ノエル・フェリシ、結晶学者のフェリックス・ベルトーらを集めた。1945年からは1976年まで、グルノーブル大学の教授を務めた。グルノーブルに、フランス有数の科学の拠点を築く中心人物でもあり、自らの研究所のほか、原子力の研究センターや、ヨーロッパで最初の共同研究所であるラウエ・ランジュバン研究所を作った。1953年には国際理論物理学会議に出席するため、東京と京都を訪れた。叙勲は、1957年の教育功労章コマンドゥール、1972年の国家功労勲章グラン=クロワ、1974年のレジオン・ドヌール勲章グラン=クロワなどがある。
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