伝記
ハルドル・キリヤン・ラクスネスは、1902年4月23日にレイキャヴィークで生まれた、20世紀を代表するアイスランドの作家である。生まれたときの名はハルドル・グズヨンソンといった。3歳のとき、一家はモスフェルスヴェイトにあるラクスネスの農場に移り住んだ。のちの筆名はこの農場の名に由来する。祖母グズニー・クレングスドッティルに育てられ、まだ話せないころから古い歌を歌ってもらい、異教時代の物語や、カトリック時代の子守歌を聞かされたという。幼いころから本を読み、物語を書き始めた。1915年から翌年にかけてレイキャヴィークの技術学校に通い、1916年には新聞や児童誌に最初の文章が載っている。17歳の時に最初の小説『自然の子』を刊行した。この小説が世に出るころには、すでにヨーロッパ大陸への旅を始めていた。
1922年にルクセンブルクのベネディクト会の修道院に入り、修道士になることを考えた。1923年にカトリックの洗礼と堅信を受け、育った農場にちなんでラクスネスの姓を名乗り、アイルランドの聖キリアンのアイスランド語名キリヤンを名に加えた。フランス語やラテン語、神学、哲学を独学し、2年ほど神学を学んだ。北欧をカトリックに戻すための祈りの会にも加わった。1927年の長編『カシミール出身の偉大な織り手』は、「世界で最も完全な人間」になろうとする青年の、宗教と自己をめぐる葛藤を描いた作品で、シュルレアリスムとマルセル・プルーストの影響が顕著だとされる。批評家クリスティアン・アルベルトソンは、これを平地にそびえる断崖のような大作と称えた。
しかし宗教に傾いた時期は長く続かなかった。1927年から1929年にかけてアメリカに滞在し、アイスランドについて講演したり、ハリウッド映画の脚本を書こうとしたりした。この間に、公園で飢えた失業者を目にして、社会主義に引かれるようになった。アプトン・シンクレアとも親交を結んだ。1929年にカナダの新聞にアメリカを批判する文章を寄せたところ、訴追されて拘束され、旅券も没収されたが、シンクレアらの助けで訴えは取り下げられ、アイスランドに戻った。その後はカトリシズムを捨てて共産主義に傾き、『独立の民』(1934年)や『サルカ・ヴァルカ』には社会への関心が反映されている。『独立の民』は、20世紀の最良の本の一つと呼ばれたことがある。1937年には詩「五月の星」を書き、これは社会主義者たちの歌になった。続いて四部作の長編『世界の光』が1937年から1940年にかけて書かれた。19世紀末の無名の詩人の生涯にもとづくとされ、多くの批評家がその最重要作と見なしている。
1938年にソ連を訪れ、その体制と文化を好意的に書いたが、のちにスターリニズムの誤りに気づいて共産主義を離れた。歴史ものの大作『アイスランドの鐘』は1943年から1946年にかけて書かれ、『世界の光』とともに代表作とされる。1960年の『天国を求めて』では、再び精神性を扱った。1955年にノーベル文学賞を受賞した。晩年はアルツハイマー病を患い、1995年から没年の1998年までを老人ホームで過ごし、1998年2月8日に亡くなった。邦訳に『独立の民』『極北の秘教』『原爆基地』などがある。
同じ年に亡くなった人物
- ジャンクヤード・ドッグ (1998年没)
- コルネリア・ボウマン (1998年没)
- モーリン・オサリヴァン (1998年没)
- Luis Cruz (1998年没)
- アラン・ボスケ (1998年没)
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