伝記
河内桃子は、日本の女優である。本名は久松桃子、旧姓は大河内。東京府東京市下谷区谷中の出身で、日本女子大学附属高等学校を卒業した。昭和20年代にデビューした女優としては、久我美子と並ぶ名家の出とされる。祖父は理研グループの総帥で子爵だった大河内正敏、父はその次男で画家の大河内信敬であり、夫は今治松平家の末裔でテレビプロデューサーの久松定隆である。幼いころから有名な美女で、身長は170センチあった。祖父の正敏は、孫娘の写真を「自分の恋人」として人に見せびらかしたという。作家の平岩弓枝とは、日本女子大学附属豊明小学校時代からの幼なじみだった。
高校を出た1953年、東宝ニューフェイスの6期生として東宝に入社した。同期には宝田明、佐原健二、藤木悠、岡田眞澄がいる。入社した年の『女心はひと筋に』で映画に初出演し、1954年の出演5作目『ゴジラ』ではヒロインの山根恵美子役に抜擢された。その後も青春映画を中心に多くの映画に出演し、1957年には年間で10作を数えた。同年12月31日には、東宝サンパウロ支社の開設のため、女優の北川町子らとブラジルへ出発した。帰りにニューヨークに立ち寄って日本映画見本市に参加し、1958年2月12日に帰国した。海外渡航が自由化される前のことで、大変貴重な訪問だったという。
演技を勉強し直すため、1958年に東宝を退社して俳優座養成所に8期生として入所した。同期には山﨑努、水野久美らがいる。東宝の俳優だった加藤茂雄は、河内が自分の主演作の試写を観て「うわー」と声を上げていたといい、それが演技を学び直そうと思ったきっかけだったのだろうと述べている。翌年に俳優座へ正式に入団し、以後は活動の中心を舞台とテレビドラマに移した。TBSのホームドラマで活躍し、石井ふく子と橋田壽賀子の作品の常連だった。晩年の代表作『渡る世間は鬼ばかり』では、高橋文子の義母・高橋年子を演じた。連続ドラマのレギュラーとして最後の出演となった第3シリーズでは、アルツハイマー病に蝕まれていく役柄が反響を呼んだ。劇団の師である千田是也の影響で反戦や反核の意識を持つようになったとされ、1995年に『ゴジラvsデストロイア』で41年ぶりに山根恵美子を演じた際の台詞は、本人の思いと同じだったという。怪獣映画のヒロインというレッテルに抵抗を覚えた時期もあったが、この作品の時点では『ゴジラ』のおかげで今の自分があると感謝していたと、監督の大河原孝夫は語っている。
1997年7月19日公開の『良寛』が最後の映画出演となり、同月21日放送のTBSの月曜ドラマスペシャル『演歌・唱太郎の人情事件日誌3・伊香保殺人事件』が最後のテレビドラマ出演となった。同年の冬、俳優座の舞台『ゆの暖簾』の東北巡業中に体調不良を訴え、翌年1月に大腸がんと診断された。進行が早く、発見時には手の施しようがなかったという。前年12月15日に山形県鶴岡市で出演した舞台が最後の仕事となった。1998年11月5日、入院先の日本赤十字社医療センターで亡くなった。亡くなる直前の10月29日には、病床でレデンプトール会の神父から洗礼を受け、「マリア」の洗礼名を授かった。長年、カトリック布教番組の朗読を務め、番組が5000回に達したときには、ヨハネ・パウロ2世から聖十字架章を贈られている。朗読が1万回を迎えた1996年には、記念の集いで教皇代理から聖シルベストロ教皇騎士団勲章を受けた。葬儀は聖イグナチオ教会で行われ、墓所は東京都台東区の谷中霊園にある。
同じ年に亡くなった人物
- ゴイコ・シュシャク (1998年没)
- グエン・ゴク・ロアン (1998年没)
- レフ・デミン (1998年没)
- イルゼ・ビング (1998年没)
- Dusan Pasek (1998年没)