伝記
カルロス・カスタネダは、1925年12月25日に生まれ、1998年4月27日にロサンゼルスで没した、ペルー生まれのアメリカの作家・人類学者である。自身の生涯の年月や場所を意図的にあいまいにしたため、記録は一定しない。アメリカの入国記録ではペルーのカハマルカで1925年の生まれとされるが、本人は1935年にブラジルのサンパウロ近郊で生まれ、1948年に家族とリマへ移ったと述べていた。1959年にアメリカ国籍を取得し、母方の姓カスタニェダを「ñ」を「n」に替えた綴りで正式に名乗るようになったとされる。
同じ年にカリフォルニア大学ロサンゼルス校に入って文化人類学を学び、ヤキ族のインディアンの呪術師ドン・ファン・マトゥスのもとで修行したと著作に記している。1968年に最初の著作『ドン・ファンの教え』を発表し、これで修士の学位を得た。1973年には第3作『イクストランへの旅』で博士号を授けられている。作品には、呪術師との哲学的な対話や、薬草を用いた意識の変容の体験が、人類学のフィールドワークを下敷きにした生き生きとしたルポルタージュの様式で描かれた。日本では真崎義博の訳で『呪術師と私』『呪術の体験』『呪師に成る』が二見書房から出版され、最初に紹介したのは哲学者の鶴見俊輔だった。
しかし、ドン・ファンが実在したのかどうかをめぐって、大きな論争が起こった。実在の人物ではなく、哲学的な演出による架空の人物だとの推測もある。最初の妻マーガレット・ルニヤン・カスタネダは回想録で、著作にあるような話は事実として存在しないとした。批判者は、著作が人類学として検証できず、ヤキ族の伝統についても誤りがあると指摘し、カスタネダが大学にいた時期にドン・ファンとメキシコにいたと書いた箇所があることを突いた。それでも、ドン・ファンを通して語られた西洋とは異なる知恵は読者を魅了し、カウンターカルチャーやニューエイジ運動に影響を与えた。日本でも社会学者の見田宗介(真木悠介)が比較社会学の立場から読み解き、細野晴臣やよしもとばななが愛読書に挙げている。ジル・ドゥルーズとフェリックス・ガタリは『千のプラトー』で、ドン・ファンの実在が疑わしくなっても、それは結局どうでもよいことだと述べている。
1973年3月5日号の『タイム』誌は彼を表紙記事に取り上げ、彼を謎がトルティーヤに包まれているような人物と評した。しかし本人は公の場にほとんど姿を現さず、表紙の写真に代理人が使われていた可能性が明らかになると論争が起こった。記者に生涯の記述の食い違いを問われると、統計的な情報で人生を証明しろというのは魔術を科学で立証しようとするようなもので、世界から魔法を奪うことだと答えたという。その後は1990年代まで公の場から姿を消した。
1990年代に再び表に出て、スペイン征服以前のメキシコの先住民のシャーマンが開発したとされる動作を現代化したテンセグリティを広めた。1995年にはキャロル・ティグスらとクリーングリーン社を設立し、ワークショップや出版物を扱った。1998年4月27日に肝臓癌の合併症で亡くなり、火葬後に遺灰はメキシコへ送られた。その死は外には知られず、約2か月後の6月19日にロサンゼルス・タイムズ紙が追悼記事を載せて初めて公になった。
同じ年に亡くなった人物
- アラン・コーマック (1998年没)
- ゲンリッヒ・アルツシューラー (1998年没)
- Jozef Kroner (1998年没)
- 木下惠介 (1998年没)
- フアン・ホセ・ノゲス (1998年没)
同じ地域に関係する人物
- ハロルド・バロン (1978年没)
- レイ・イームズ (1988年没)
- Norris Graham (1980年没)
- サリー・ケラーマン (2022年没)
- キム・シャタック (2019年没)