伝記
エドワード・ミルズ・パーセルは、1912年8月30日にイリノイ州テーラービルで生まれたアメリカの物理学者である。父はエドワード・A・パーセル、母はメアリー・エリザベス・ミルズで、親しい友人や同僚からは「エド・パーセル」と呼ばれた。パデュー大学で1933年に電気工学の学士号を取り、その後ハーバード大学で1935年に物理学の修士号、1938年に博士号を取得した。
第二次世界大戦中の1941年から1946年にかけては、マサチューセッツ工科大学の放射研究所でマイクロ波レーダーの開発を指導した。1946年にハーバード大学に戻って研究を続け、1949年には物理学科の教授に就いた。1945年12月、同僚のロバート・パウンドとヘンリー・トリーとともに核磁気共鳴を発見した。核磁気共鳴は、物質の化学構造や性質を美しく正確に調べる方法として、物理学や化学で広く使われるようになり、20世紀で最も重要な医学上の進歩のひとつとされる核磁気共鳴画像法の基礎にもなった。この発見により、1952年にスタンフォード大学のフェリクス・ブロッホとともにノーベル物理学賞を受賞した。両者は互いに独立にこの現象を見いだしている。
天文学でも業績を残した。宇宙に漂う中性の水素原子から出る波長21センチメートルの電波を、銀河系の中で初めて観測したのである。1951年にハーバード大学のライマン物理学研究所で、ハロルド・イーウェンとともに行った観測だった。これによって天の川銀河の渦状腕が初めて見えるようになり、電波天文学が確立する契機となった。21センチ線の観測は、いまも現代天文学の重要な手法である。固体物理学の分野でも、スピンエコー緩和や核磁気緩和、レーザー技術の発展に重要な負のスピン温度を研究した。ノーマン・ラムゼーとともに、素粒子物理学におけるCP対称性に最初に疑問を投げかけたともいわれる。
教育者としても知られ、1965年版の電磁気学の教科書は、スプートニク時代に全米科学財団の助成を受けた企画で、バークレー物理学講座の一巻として刊行された。この本は相対性理論を用いて大学初年級の電磁気学を説明する斬新な入門書で、大学の物理学科で広く使われた。生物学者の間では、低レイノルズ数の流れで働く力や効果を解説した講演「低レイノルズ数における生命」で記憶されている。この講演で、そうした流れが時間反転しても同じになる点を強調し、その考えは帆立貝定理と呼ばれる。
アイゼンハワー、ケネディ、ジョンソンの各大統領の科学顧問を務め、1963年には、偵察衛星などの将来の偵察活動を検討する政府のパーセル委員会を率いた。アメリカ物理学会の会長を務め、全米科学アカデミー、アメリカ哲学協会、アメリカ芸術科学アカデミーの会員となり、1953年にリヒトマイヤー記念賞、1957年にエルステッド・メダル、1979年にアメリカ国家科学賞、1988年にベアトリス・ティンズリー賞を授与された。学生時代の友愛会フィ・カッパ・シグマでは、ノーベル賞を受けた最初の会員として殿堂に迎えられた。1989年には王立協会の外国人会員に選ばれた。1997年3月7日、マサチューセッツ州ケンブリッジで84歳で亡くなった。
同じ年に亡くなった人物
- ペドロ・サバリャ (1997年没)
- カイ=ウヴェ・フォン・ハッセル (1997年没)
- Arne Berg (1997年没)
- 田中友幸 (1997年没)
- 小平邦彦 (1997年没)
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- ヴェルナー・イェーガー (1961年没)
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