HISTORICAL PERSON · 1997年没

ハンス・アイゼンク

ドイツ出身の心理学者。不適切な学習が神経症を生むと考えて行動療法を試み、1975年にアイゼンク性格検査を考案した。精神分析を痛烈に批判したが、没後に論文の不正が指摘された。

生涯
1997年没
死亡地
イギリス連邦(シティ・オブ・ウェストミンスター / ロンドン)
出生地
ドイツ連邦共和国(ベルリン)
出典
世界地図
イギリス連邦(シティ・オブ・ウェストミンスター)

伝記

ハンス・ユルゲン・アイゼンクは、1916年3月4日にドイツのベルリンで生まれた心理学者である。ナチス政権下のドイツを1934年に強いられて離れ、1939年までフランスに身を寄せたのち、イギリスに渡った。フランスとイギリスの大学で学び、ロンドン大学のユニヴァーシティ・カレッジで心理学の博士号を取得した。以後の研究者としての経歴は、ほとんどをイギリスで送った。

1942年から1945年にかけてはロンドンのミル・ヒル病院で心理学者として働き、1945年からはロンドン大学に属するモーズレー病院に勤めた。1950年から1955年まではキングス・カレッジ・ロンドンの精神医学研究所で心理学部門の責任者を務め、1955年から1984年までは同大学の心理学科の主任教授の座にあって、のちに名誉教授の称号を受けた。『人格の次元』をはじめとして、生涯に数多くの論文や著書を発表している。

研究の中心は知能、パーソナリティ、行動療法である。不適切な学習によって神経症が引き起こされると考え、その治療を行動療法で試みた。1952年に発表した論文では、治療を受けない場合の回復は精神分析的な心理療法と同等か、それ以上だと述べた。これは行動療法のモデルを科学的に検討する流れを後押しし、実証性を欠くとして精神分析を鋭く批判する立場でも知られた。パーソナリティについては、人間の行動の主な次元を前もって想定し、それを遺伝的・生物学的な基盤をもつ型として整理する構造モデルを築いた。古代のヒポクラテスやガレノスの体液説、さらにその源にあるエンペドクレスの四元素説を、遠い先駆けとして位置づける見方もある。数量的な方法や因子分析を心理学に取り入れようとする姿勢から、行動心理学の父とみなす人も多い。1975年にはアイゼンク性格検査を考案している。

1997年9月4日にロンドンで死去した。没時には、査読つきの学術誌で最も多く引用される存命の心理学者とされていた。ところが没後の2019年、性格のタイプとがん、心臓病の危険を結びつけた共同研究者ロナルト・グロサルト=マティチェクとの共著論文について、キングス・カレッジ・ロンドンが調べ、25報とも26報とも記される論文を「安全ではない」と結論づけた。2020年までに14本が撤回され、多数の論文に学術誌が懸念を表明している。データが人為的に作られた疑いも指摘され、大学の調査は、その研究は現代の臨床科学とは両立しないと評価した。1990年代にはすでにオランダの医療心理学者ヘンク・ファン・デル・プルフが、同じ研究のデータの版ごとに参加者の死亡日や死因が食い違うと報告していた。ドイツの統計家ヘルマン・フェッターも、低リスクの性格の群で肺がんがゼロである点などから、データは人為的に作られたと論じた。研究の一部はたばこ会社が資金を出しており、訴訟で公開された文書には、業界の統計家の間にも内々に疑問があったことが示されている。伝記作家のロッド・ブキャナンは、87本の論文を撤回すべきだと主張する。2019年の研究は、知能を研究する55人のなかで3番目に論争を呼ぶ人物と位置づけた。かつて高く評価された業績は、いまでは大きな論争の的となっている。

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