HISTORICAL PERSON · 1996年没

ティモシー・リアリー

アメリカの心理学者。ハーバード大学でシロシビンやLSDなど幻覚剤の研究を行い、意識の自由を訴えたが、マリファナ所持で投獄された。

生涯
1996年没
死亡地
アメリカ合衆国(カリフォルニア州 / ビバリーヒルズ)
出生地
アメリカ合衆国(スプリングフィールド)
出典
世界地図
アメリカ合衆国(カリフォルニア州)

伝記

ティモシー・フランシス・リアリーは、1920年10月22日に生まれ、1996年5月31日に没したアメリカの心理学者である。集団精神療法の研究で評価されてハーバード大学の教授となり、同大学ではシロシビンやLSDといった幻覚剤による人格変容の研究を行った。幻覚剤によって刷り込みを誘発できると主張し、意識の自由を訴えた。のちにマリファナの所持で投獄され、囚人生活のなかで宇宙移住計画の構想をまとめた。晩年は宇宙移住の構想をサイバースペースへの移住へと置き換え、コンピューター技術に携わった。

マサチューセッツ州スプリングフィールドの生まれで、1936年に入ったクラシカル高校では生徒会長と学校新聞の編集長を務めたが、新聞で学校の全体主義を批判したために、校長から大学への推薦の機会を失った。ホーリークロス大学に2年在籍し、ウエストポイント陸軍士官学校に入ったが、上官に逆らったことから組織的な無視を受け、学校を去った。その後アラバマ大学の心理学部に入ったものの、ガールフレンドの女子寮に忍び込んで退学になった。1943年に徴兵されて軍で心理学の課程を学び、軍病院に移った先で、のちに妻となるマリアンヌと出会った。リアリーはワシントン州立大学で心理学の修士号を得たのち、カリフォルニア大学バークレー校の博士課程に進んだ。患者の意図を抜きにして決める精神療法に疑問を抱き、当時は奇妙なものとみなされていた集団精神療法に、言語による人間同士の相互作用を観察できる可能性を見て、研究を始めた。ハリー・スタック・サリヴァンの、対人関係から人格が築かれるとする理論を発展させ、人格検査のモデルも作った。1955年、研究に参加していた女性との不倫関係のなかで妻マリアンヌが自殺し、リアリーはカイザー基金病院の心理学研究所の理事長の地位を捨てて、ヨーロッパを放浪した。この頃の著書『人格の人間関係的診断』は高く評価された。

1959年、バークレー時代の友人フランク・バロンがマジック・マッシュルームの神秘体験を語り、リアリーはバロンから、ハーバード人格研究センターの所長マクリーランドがイタリアにいると教えられた。会って話した末にハーバード大学に職を得た。1960年夏、メキシコ大学の人類学者ゲルハート・ブラウンの誘いでキノコを試し、古代文明の各地を旅し、生物の進化の過程をたどるという幻覚体験をした。洞察が瞬時に得られたことに衝撃を受け、意識を拡張する脳の回路とそれを起こす薬の研究を志した。スイスのサンドス研究所のアルバート・ホフマンが合成していたシロシビンを入手し、オルダス・ハクスリーも加わって、ハーバード・サイケデリック・リサーチ・プロジェクトを組織した。1961年3月から1963年にかけては、コンコード州立刑務所の受刑者を対象に、シロシビンを組み込んだ集団心理療法で再犯率を下げられるかを調べる実験を主導し、再犯率は低かったと報告した。しかしリック・ドブリンが1998年に発表した追跡調査は、当初の報告に方法論上の問題があるとして、その治療効果の主張は誤りだったと結論づけている。

1962年春にはLSDを試し、生涯で最も強烈で生き方を変える体験だったと受け止めた。LSDを研究に持ち込むと反対運動が起こり、メキシコで夏のキャンプを行い、「精神的自由のための国際財団」を設立して、ハーバードを離れた。以後はメキシコやドミニカ共和国などから国外退去を迫られ、ニューヨーク州ミルブルックのメロン家の別荘に拠点を移した。そこでは「カスタリア協会」を名乗り、週1回のLSDのセッションを行ったとされる。

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