伝記
バハラーム2世は、サーサーン朝の第5代君主(シャーハーン・シャー)である。在位は276年から293年とされ、274年からともいわれる。先代バハラーム1世の長男で、父がわずか数年で亡くなったため、まだ10代前半のうちに王位を継いだ。曽祖父はサーサーン朝を開いたアルダシール1世、祖父は名高いシャープール1世にあたる。即位にあたっては、父のときと同じく有力なゾロアスター教の神官カルティールの助けがあったと考えられている。サーサーン朝は224年にアルダシール1世がパルティアのアルサケス朝最後の王を破って成立した王朝である。名のバハラームは、古いイランの勝利の神ウルスラグナに由来する。父バハラーム1世は、弟ナルセにアルメニアの統治権を与えることで王位の継承を認めさせていたが、ナルセはなお父を簒奪者と見ていたと思われる。
治世の初めは暴君的で、主要な貴族たちに愛想をつかされ、暗殺計画が持ち上がりかけたといわれる。このとき神官のトップが仲介して王を説得し、行いを改めさせた。以後は賢明さと寛容が光り、どの階級からも支持を受けたという。
政権を支えたのは、舅であるメセネ王シャープールとカルティールだった。叔父ナルセは、バハラーム1世の時にはアルメニア王となることで納得していたが、自分の名と肖像を刻んだ貨幣を独自に発行した。貨幣の発行は君主にだけ認められており、事実上の独立宣言だったが、討つことは容易でなく、しばらく放任された。シャープールは諸王の筆頭であるアルメニア王をもしのぐ称号ハルグベドを与えられ、帝国第2位の地位を得た。カルティールは平民出身ながら大貴族に列せられ、全土のモーベド(祭司長)兼判事となり、イスタフルのアナーヒター寺院の管理者にも任じられた。バハラーム2世の貨幣には皇帝だけでなく王妃と皇太子、つまりシャープールの娘と孫も刻まれた。一族の姿を貨幣や岩壁のレリーフに表した最初の君主とも指摘されている。
治世は試練の連続だった。東方では兄弟(従兄弟という説もある)のホルミズドがサカ、クシャーン、ギーラーンの諸民族を糾合して大規模な反乱を起こし、「クシャーンのシャーハーンシャー」の称号を刻んだ貨幣を発行して、治世末期まで王を悩ませた。ほかに従兄弟のサカスターンのホルミズドも同じころ反乱を起こし、フーゼスターンでも神官を中心とする反乱が起きたとされる。この混乱に乗じて、282年か283年にローマ皇帝カルスがメソポタミアに攻め込んだ。バハラーム2世は東方の反乱の対処で手一杯で、メソポタミアは破壊・略奪され、セレウキアやクテシフォンも占拠されたとされる。しかしカルスは落雷で急死し(暗殺説もある)、ローマ軍は退いた。
286年にはディオクレティアヌス帝がペルシア戦争を始め、ペルシアに反旗を翻したアルメニアの王子ティリダテスを支援した。ティリダテスはペルシアの2個軍隊を破ってアルメニアの支配者となり、独立を宣言した。バハラーム2世はローマに非常に有利な休戦協定を結び、西部アルメニアの割譲を強いられたナルセと軍部の大きな反感を買った。ナルセの勢力を削ぐため、あえて有利な条件で結んだとも考えられている。コーカサスでは、イベリアの王座にミフラーン家の貴族ミリアン3世を就けて勢力を強めたとされる。東方の反乱をようやく鎮めると、皇太子バハラームをサカの王に任命し、まもなく没した。跡を継いだのがバハラーム3世だが、わずか数カ月でナルセに王位を奪われた。