伝記
ドナルド・プレザンスは、1919年10月5日、イングランドのノッティンガムシャー州ワークソップに生まれた俳優である。父トーマス・スタンリーは鉄道の駅長で、母はアリスといった。9歳のころから、リンカンシャー州の小さな村で、厳格なメソジスト教徒として育てられた。両親は禁酒運動の会に入っていた。のちにシェフィールド近郊の中等学校に通い、この学校が人生を変えたと語っている。英語の教師と校長に励まされ、教師の主宰する演劇の会で演技を伸ばした。英語はよくできたが、「ほかはあまり」だったという。父は校長に、息子が俳優を選ばないよう説得してほしいと頼んだ。学校を卒業後、18か月間、鉄道の駅で切符の窓口係として働いたが、プロの俳優になろうと決め、1939年にジャージー島の劇団に入った。同年7月、劇団の舞台監督助手として、『嵐が丘』のヘアトン役でデビューした。
1941年まで、地方の劇団で働いた。反抗的な性格で、劇場の演出家や支配人を怒らせ、解雇されることもあった。第二次世界大戦が始まると、1939年12月には、徴兵を拒む良心的兵役拒否者として登録したが、1940年の秋、ドイツ空軍のロンドン空襲を受けて、考えを変え、イギリス空軍に志願した。爆撃機の無線手として、約60回の出撃をした。1944年8月31日、フランスのアジャンヴィルへの攻撃中、搭乗していたランカスター爆撃機が撃墜されて、ドイツ軍の捕虜となった。19回目の出撃で、飛行爆弾の基地を爆撃していたときだった。収容所では、仲間の気晴らしのために、多くの芝居を上演した。終戦の10日前にソ連軍に解放され、1946年に空軍を除隊した。この経験を、のちに『大脱走』の書類偽造屋の役に生かした。
終戦後、再び演技の道に戻った。舞台ではローレンス・オリヴィエに認められ、その劇団に所属したこともある。正式な映画デビューは、1954年の『島のならず者』である。坊主頭と特徴のある声のせいか、悪役や狂人の役が多かった。『007は二度死ぬ』では、悪の組織スペクターの首領ブロフェルドを演じ、これはのちに『オースティン・パワーズ』のDr.イーブルのモデルとなった。『大脱走』のコリン・ブライス、『ミクロの決死圏』の学者役も有名である。強烈な悪人から一癖ある善人まで、難なくこなし、イギリスやフランス、イタリア、ドイツ、さらにアフリカやアジアが製作した映画にも出演した。舞台でも評価され、ドラマ・デスク賞を受け、トニー賞に4回ノミネートされた。1994年に、演劇への貢献により大英帝国勲章を授けられた。
一番有名な出演作は、ホラー映画『ハロウィン』のシリーズで、殺人鬼マイケル・マイヤーズを追い続ける精神科医ルーミスの役である。第1作から、晩年に上映された第6作まで、第3作を除いて出演した。1995年2月2日、心臓の弁置換手術のあとの合併症による心不全で、75歳で死去した。のちに作られた『ハロウィン』では、ルーミスも、1995年に病で他界した設定になっている。この役は、2007年のリメイク版で、マルコム・マクダウェルが引き継いだ。
同じ年に亡くなった人物
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- エリザベス・モンゴメリー (1995年没)
- ポール・A・ロスチャイルド (1995年没)
- セサル・ロドリゲス・アルバレス (1995年没)
同じ地域に関係する人物
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- ジャック=アンリ・ラルティーグ (1986年没)
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