伝記
キングズリー・ウィリアム・エイミスは、1922年4月16日にロンドン南部のクラッパムで生まれたイギリスの小説家、詩人、評論家である。下層中流の家庭の一人っ子で、父ウィリアム・ロバートは、マスタード製造会社コールマンズの事務員だった。母はローザ・アニー・ルーカスといった。祖父のガラス商ジョセフ・ジェームズ・エイミスは裕福で、サリー州に大きな屋敷を構えていたが、エイミスはこの祖父を好まず、好きだったのは母方の祖父の本の収集家でバプテスト教会のオルガン奏者だったジョージだけだったと語っている。育ったのはノーベリーで、後年は自分の出身を「ノーベリー駅」だと冗談めかして言った。十代前半には不安症やパニック障害の兆候が現れている。
父と同じくシティ・オブ・ロンドン・スクールに奨学金で進み、1941年にオックスフォード大学へ奨学金で入って英文学を学んだ。ここで詩人フィリップ・ラーキンと出会い、生涯でもっとも大切な友情を結んだ。同じ1941年6月にイギリス共産党に入党したが、1956年にフルシチョフがスターリン批判の演説を行ったのを受けて、共産主義と決別した。第二次世界大戦では1942年7月に召集され、王立通信隊の中尉として兵役に就いた。1945年10月にオックスフォードへ戻り、1947年に英文学で最優等の成績を得たが、そのころには、時間の多くを執筆に充てると決めていた。1948年にはヒラリー・バーデルと結婚し、3人の子をもうけた。
1949年からスウォンジ大学で英語を教え、教壇に立つかたわら、詩人として出発したのち小説に転じた。1954年の最初の小説『ラッキー・ジム』は大きな称賛を浴び、1950年代のイギリスの空気をとらえ、新しい作風を開いたと評された。20の言語に翻訳され、1972年までにアメリカでペーパーバックが125万部売れた。イギリス最初期の大学小説のひとつで、サマセット・モーム賞を受け、エイミスはジョン・オズボーンやアラン・シリトーらとともに、「怒れる若者たち」と呼ばれる作家の一人になった。1958年から翌年にかけて、アメリカのプリンストン大学の客員フェローとなり、帰国後は行き詰まりを感じた。1961年にはケンブリッジ大学ピーターハウスのフェローとなったが、1年もたたぬうちにこの転職を悔い、1963年に辞職した。
ミステリーやSFも愛好し、SF評論『地獄の新地図』を書いたほか、ジェームズ・ボンドの伝記『007号/ジェイムズ・ボンド白書』をビル・タナー名義で執筆した。イアン・フレミングの死後には、ロバート・マーカム名義で007の小説『孫大佐』を1作書いている。1965年に不倫が原因でヒラリーと離婚し、のちに小説家エリザベス・ジェーン・ハワードと結婚したが、1980年に2度目の離婚をした。その後は前妻ヒラリーとその夫と同居し、最期を看取られている。1977年にSF小説『去勢』でジョン・W・キャンベル記念賞を、1986年に『オールド・デビルズ』でブッカー賞を受けた。1990年にナイトの称号を授かった。息子のマーティン・エイミスも小説家である。1995年10月22日に没した。
同じ年に亡くなった人物
- ドン・パティンキン (1995年没)
- ギーゼラ・マウアーマイヤー (1995年没)
- スティーブン・スペンダー (1995年没)
- アン・ダナム (1995年没)
- テリー・サザーン (1995年没)
同じ地域に関係する人物
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