HISTORICAL PERSON · 1994年没

ヤン・ティンバーゲン

オランダの経済学者。計量経済学の草創期から計量分析に関わり、1969年にフリッシュと共に世界最初のノーベル経済学賞を受賞した。

生涯
1994年没
死亡地
オランダ(南ホラント州 / デン・ハーグ)
出生地
オランダ(デン・ハーグ)
出典
世界地図
オランダ(南ホラント州)

伝記

ヤン・ティンバーゲンは、1903年4月12日、オランダのデン・ハーグに生まれた経済学者である。オランダ語読みでは、ヤン・ティンベルヘンに近い。5人の子の長子で、弟のニコ(ニコラス)は、動物行動学の研究で1973年にノーベル生理学・医学賞を受け、末の弟ルークは、有名な鳥類学者になった。兄弟で二人ともノーベル賞を受けたのは、この二人だけである。ハーグの高校に通ったのち、1921年にライデン大学に入り、1925年まで、パウル・エーレンフェストのもとで数学と物理学を学んだ。この間に、エーレンフェストやローレンツ、ゼーマン、アインシュタインらと議論を重ねた。

卒業後は、ロッテルダムの刑務所の事務や、ハーグの中央統計局で働いた。その後ライデン大学に戻り、1929年に、物理学と経済学における極大・極小の問題についての論文で博士号を取った。主題は、エーレンフェストの示唆によるもので、数学や物理学、経済学、政治への関心を結び合わせることができた。同年から中央統計局に勤務し、新設された景気調査と数理統計の部門の初代の長となって、1945年まで勤めた。膨大な統計の資料は、理論的なモデルを試すのに役立った。1931年からアムステルダム大学で統計学の非常勤講師を務め、1933年にはオランダ経済大学の非常勤講師となった。1936年に、オランダのマクロ経済モデルを作り、のちにアメリカとイギリスにも当てはめた。国家の規模のマクロ経済モデルを初めて開拓した人物である。1936年から2年間は、ジュネーブの国際連盟の経済金融部門の顧問も務めた。

1945年に中央統計局を辞め、新設されたオランダ経済計画局の初代長官を務め、1955年まで務めた。その後は教育に専念し、オランダ経済大学で開発計画学の教授となり、付設の経済研究所の所長も兼ねた。1956年には、アンリ・タイルとともに、計量経済学の研究所を創設した。その間の1946年には、オランダ王立芸術科学アカデミーの会員となった。また、デルタ計画の設計と建設を監督する政府の委員会にも任命された。エジプトやトルコ、ベネズエラ、インドネシア、パキスタンなどの政府や、国際機関に助言も行った。1966年から国連開発計画委員会の委員長を務め、1970年に委員会が発表した報告は、『ティンバーゲン報告』とも呼ばれ、1970年代の開発戦略の方向づけに大きな影響を及ぼした。

研究では、景気循環のマクロ計量経済モデルを構築し、1937年の『景気循環の諸問題に対する計量経済学的接近』などを出した。同じころ、くもの巣理論を発表し、経済動学の理論の幕開けに役割を果たした。経済計画に計量経済学の手法を適用して、短期の政策モデル(オランダ・モデル)も作った。N個の独立した政策目標を同時に達成するには、N個の独立した政策手段が必要だという「ティンバーゲンの定理」でも知られる。1967年にエラスムス賞を受け、1969年に、経済過程の分析に対する動学的モデルの発展と応用の功績で、ラグナル・フリッシュとともに、第1回のノーベル経済学賞を授与された。1975年に退官し、1994年6月9日にハーグで死去した。91歳だった。

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