伝記
マリヤ・ギンブタスは、1921年1月23日、リトアニアのヴィリニュスで生まれた考古学者である。生まれたときの名はマリヤ・ビルテ・アルセイカイテといい、両親は知識人であった。母はベルリン大学で眼科学の博士号を取り、リトアニア初の女性医師になったとされ、父は医師であり、民俗学者であり、新聞や文化雑誌の発行人でもあった。両親は1918年にヴィリニュスにリトアニア人初の病院を設けている。ヴィリニュスはその後ポーランド領となったが、母は子どもたちにリトアニアの大学へ進んでほしいと考え、1931年に一家はリトアニア領のカウナスへ移った。父はレジスタンスの活動のために同行せず、1936年に急逝している。
カウナスの女子ギムナジウムで学んだのち、1938年にヴィータウタス・マグヌス大学に入学して、民俗学、言語学、考古学を学び、墓地の発掘調査にも加わった。1939年にはベラルーシ系の難民から民謡を採録し、少なくとも5000曲を集めた。1941年に建築家と結婚した。第二次世界大戦中はソ連による再占領を避けてウィーン、インスブルックへ逃れ、言語学や考古学、インド・ヨーロッパ語族の文化を学び、1946年にテュービンゲン大学から古代リトアニアの埋葬儀礼の研究で博士号を受けた。その後1949年まで、テュービンゲン、ハイデルベルク、ミュンヘンの考古学研究所で研究を続けた。
1949年にアメリカへ移住し、ハーバード大学で考古学文献の翻訳に携わったのち、人類学の講師、さらに同大学ピーボディ考古学・民族学博物館の研究者となった。1956年、南ロシアなどに見られるクルガン(墳丘墓)を原インド・ヨーロッパ語民族と結び付けるクルガン仮説を提唱し、1965年には青銅器時代の中央・東ヨーロッパを扱った著書にまとめた。1960年代から1989年までカリフォルニア大学ロサンゼルス校の考古学教授を務め、1967年から1980年にかけては南東ヨーロッパの新石器時代の遺跡の発掘を指揮した。ヴィンチャ文化の遺物に見つかる記号を文字と考えて「古ヨーロッパ文字」と名付け、新石器文化を指す「古ヨーロッパ」の語も生んだ。1971年には学術誌『インド・ヨーロッパ研究』を創刊し、分野を越えた研究を促すため、1979年にはドゥブロヴニクで、1989年にはダブリンで会議を開いた。
後年は『古ヨーロッパの神々』(1974年)、『女神の言語』(1989年)、『女神の文明』(1991年)の3冊で一般にも知られた。そこで彼女は、古ヨーロッパの社会は女神を崇拝する母系的なもので平和であったが、青銅器時代に父権的な戦士階級をもつインド・ヨーロッパ系のクルガン人に征服された、と考えた。フェミニスト的立場からのこの独特の解釈は賛否を呼び、女神崇拝は疑問視され、古ヨーロッパも決して平和ではなかったとの批判も多い。
1993年1月27日、ヴィータウタス・マグヌス大学から名誉博士号を授与された。翌1994年2月2日にロサンゼルスで死去し、カウナスの墓地に葬られた。生涯に約20冊の著書と300点を超える論文を残したとされる。なお、リトアニア語では姓は女性形のギンブティエネだが、アメリカ移住後は夫に合わせて男性形のギンブタスを名乗った。
同じ年に亡くなった人物
- ヘレナ・ラショーヴァ (1994年没)
- マイ・セッタリング (1994年没)
- パオロ・ヴォルポーニ (1994年没)
- ロバート・ブール・マルクス (1994年没)
- ロッサノ・ブラッツィ (1994年没)
同じ地域に関係する人物
- ジョゼフ・アクロン (1943年没)
- スザンヌ・プレシェット (2008年没)
- ステファニー・ニズニック (2019年没)
- キャロル・ランディス (1948年没)
- ウィリー・シューメーカー (2003年没)