伝記
ラルフ・ワルド・エリソンは、1914年3月1日(英語版の記述では1913年)にアメリカ合衆国オクラホマ州オクラホマシティで生まれ、1994年4月16日に没した小説家、文芸評論家である。日本語ではエリスンとも表記される。名前は、ラルフ・ワルド・エマーソンに因んで付けられた。幼いころに父ルイスを亡くしたが、父は文学を愛し、息子が詩人になることを望んでいたことを、のちに知ったという。8歳のころから音楽家を志し、学校のバンドでトランペットを演奏し、近所の友人の父からトランペットとアルトサックスの無料の指導も受けた。母は再婚を重ねたが、家計は不安定で、少年期のエリソンは様々な仕事で家計を助けた。
1933年、トランペット奏者を必要としていたオーケストラの事情もあって、名門の黒人大学であるアラバマ州のタスキーギ学院に入学し、作曲を学んだ。在学中、ヘミングウェイやT・S・エリオット、ガートルード・スタインらの作品を読み耽り、とくにエリオットの詩『荒地』に感銘を受けて、現代文学の手法でアフリカ系アメリカ人の日常を綴ることを志すようになったという。奨学金が尽きたことをきっかけに、学位を得ないまま学院を離れ、ニューヨークに移った。ハーレムの青年会の宿舎に住みながら彫刻と写真を学び、ラングストン・ヒューズやアンドレ・マルロー、リチャード・ライトらと交流を持った。なかでもライトは、小説家になるよう勧めただけでなく、連邦作家計画で職を得る手助けもした。エリソンは共産党にも入党し、1937年から1944年にかけて、ライトが参加していた『ニュー・チャレンジ』や『ニュー・マッシズ』をはじめとする20以上の雑誌に短編や評論を寄稿した。
第二次世界大戦中は商船で調理師として働き、休憩時間に短編小説を書いた。1946年には、支え続けてくれた写真家のファニー・マコーネルと結婚する。1947年から1951年にかけて、書評で生活費を稼ぎながら、のちに代表作となる『見えない人間』を書き進めた。1952年に発表されたこの小説は、1930年代のニューヨークを舞台に、過酷な人種差別のなかで自身のアイデンティティと社会での居場所を探す黒人青年を描いた。世界中で喝采を浴び、翌1953年に全米図書賞を受賞した。1955年からはローマに長期滞在してロバート・ペン・ウォーレンと生涯の盟友関係を結び、1958年に帰国すると、バード大学で教える傍ら、2作目の長編『ジューンティーンス』の執筆を始めた。1964年には人種問題などを論じたエッセイ集『影と行為』を出版し、翌年には『見えない人間』が約200名の文学関係者への聞き取りで「第二次世界大戦後に出版された作品の中で最も優れた作品」との評価を得た。
1967年、マサチューセッツ州の自宅が火災に見舞われ、執筆中だった『ジューンティーンス』の原稿を300ページ以上焼失する。のちに原稿を2000ページ以上書いたが、作品は未完に終わった。1969年に大統領自由勲章、1970年にフランス政府から芸術文化勲章を受け、1985年にはアメリカ国民芸術勲章を受章した。1986年にはエッセイ集『準州への旅立ち』を出版している。1994年4月16日、膵癌のため死去し、ニューヨークのトリニティ教会墓地に埋葬された。
同じ年に亡くなった人物
- ジャック・エリュール (1994年没)
- ビタス・ゲルレイティス (1994年没)
- アントワーヌ・ピネー (1994年没)
- クラレンス・ハウザー (1994年没)
- ギー・ドゥボール (1994年没)
同じ地域に関係する人物
- マックス・ラインハルト (1943年没)
- アントニオ・ロッカ (1977年没)
- レイモンド・スマリヤン (2017年没)
- アイラ・レヴィン (2007年没)
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