伝記
ヴィンセント・レナード・プライス・ジュニアは、1911年5月27日にアメリカ合衆国ミズーリ州セントルイスで生まれた俳優である。四人きょうだいの末っ子で、父は製菓会社ナショナル・キャンディの社長、祖父は酒石を原料とする最初のベーキングパウダーを発明して一家の財を築いた人物と伝えられ、裕福な家庭に育った。セントルイスのカントリー・デイ・スクールを出て、1933年にイェール大学を卒業したが、専攻は英文学で、美術史を副専攻とした。学内のユーモア雑誌にも関わっている。1年間教壇に立ったのち、ロンドンのコートールド美術研究所に入り、美術の修士号を目指していた。
だが彼を引き寄せたのは演劇だった。1935年にロンドンの劇場で初めてプロの舞台に立ち、同じ年にローレンス・ハウスマン作『ヴィクトリア女王』でアルバート公を演じた。その年のうちにニューヨークへ移り、ブロードウェイ版で同じ役を、女王役のヘレン・ヘイズの相手として二シーズン務めた。1938年にはオーソン・ウェルズのマーキュリー劇団の舞台に出演し、同年、喜劇『サービス・ド・リュクス』で映画デビューを果たした。1940年代にはドラマからコメディ、ホラーまで幅広い映画に出ており、『ローラ殺人事件』(1944年)でジーン・ティアニーと共演して地歩を固め、『聖処女』(1943年)や『天国の鍵』(1944年)では脇役を演じた。ホラーへの初めての出演は、ボリス・カーロフ主演の『ロンドン塔』(1939年)だったとされ、翌年には『透明人間の逆襲』で題名役を演じた。ラジオにも出演していた。
1950年代からホラー映画に多く出るようになり、1953年にカラー3Dで主演した『肉の蝋人形』のヒットで、この分野の第一人者となった。『ハエ男の恐怖』(1958年)や『ハエ男の逆襲』(1959年)でも人気を集めた。1960年の『アッシャー家の惨劇』を皮切りに、アメリカン・インターナショナル製作、ロジャー・コーマン監督によるエドガー・アラン・ポー原作のシリーズに次々と主演し、ホラーのトップスターの座を不動にした。このシリーズではボリス・カーロフ、ロン・チェイニー・ジュニア、ピーター・ローレ、ベイジル・ラスボーンらの先輩の怪奇スターとも共演したが、常に主演はプライスだった。ポー作品のセルフパロディを含む喜劇『ビキニマシン』(1965年)で、懐の広い面も見せた。
1970年代以降も、ホラーの大御所として晩年まで活躍した。異形のマッドサイエンティストを演じた『怪人ドクター・ファイブス』(1971年)と、その続編(1972年)はカルトホラーとして人気が高い。ピーター・カッシングやクリストファー・リーとも共演し、イギリスのこの二人と並んで「三大怪奇スター」と称された。ホラー以外でも、『八月の鯨』(1987年)でロシアからの移民貴族を演じ、リリアン・ギッシュやベティ・デイビスと共演した。美声を生かした声の仕事も多く、マイケル・ジャクソンの『スリラー』では曲中のナレーションを務めた。ティム・バートンの熱烈なファンぶりも知られ、バートンのデビュー作である短編アニメ『ヴィンセント』(1982年)では語り手を務め、『シザーハンズ』(1990年)が実写映画の遺作となった。
美術と料理にも精通した文化人で、美術について講演や執筆も行い、美術品の収集家でもあり、レンブラント、ピカソ、ダリらの作品を所蔵していた。料理に詳しく、いくつかの料理本も出版した。三度結婚している。1993年10月25日、肺癌のため死去した。
同じ年に亡くなった人物
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