HISTORICAL PERSON · 1993年没

リリアン・ギッシュ

アメリカの女優、映画監督。サイレント映画時代を代表するスターで、D・W・グリフィス監督作品の清純可憐な役で知られ、「アメリカ映画のファーストレディ」と呼ばれた。

生涯
1993年没
死亡地
アメリカ合衆国(ニューヨーク州 / ニューヨーク)
出生地
アメリカ合衆国(スプリングフィールド)
出典
世界地図
アメリカ合衆国(ニューヨーク州)

伝記

リリアン・ギッシュは、1893年10月14日にオハイオ州スプリングフィールドで生まれ、1993年2月27日に亡くなったアメリカ合衆国の女優で、映画監督としての仕事もある。サイレント映画時代を代表する映画スターであり、映画俳優としての活動は75年に及んだ。「アメリカ映画のファーストレディ」と呼ばれた。

父ジェームズは大酒飲みで家を去り、母メアリーは家計を支えるために女優になったとされる。母が女優だった縁で、リリアンは幼いころから舞台に立ち、妹のドロシーも女優になった。一家はイースト・セントルイスに移り、母が開いた菓子店で姉妹は隣の劇場の客にポップコーンや菓子を売った。のちに隣の劇場が火事になると、一家はニューヨークへ移り、近所の少女グラディス・スミス、のちのメアリー・ピックフォードと親しくなった。この友人を通じてバイオグラフ社でD・W・グリフィスに紹介され、同年に姉妹はグリフィスの短編『見えざる敵』で映画に初めて出演した。当時19歳だったが、撮影所には16歳と届けたという。

その後グリフィスと組み、サイレント映画を代表する大作『國民の創生』(1915年)や超大作『イントレランス』(1916年)に出演した。グリフィスは彼女の表現力を生かし、耐え忍ぶ強いヒロインに育てた。1919年の『散り行く花』では幸薄い少女ルーシーを演じ、この作品によって映画は第八芸術として世に認められたと言われる。1913年には舞台『ア・グッド・リトル・デビル』の上演中に貧血で倒れている。1920年の『ウェイ・ダウン・イースト』では、気を失ったまま氷塊に乗って荒れ狂う滝へ流されていく場面で、長い髪と手を水に垂らして演じ、その過酷な撮影で数本の指の神経を痛めたという。1920年には妹ドロシー主演の『亭主改造』を監督したが、監督作はこの一作のみである。姉妹は私生活でも大変仲がよく、ヘレン・ヘイズら他の女優とも親交が深かった。

1921年の『嵐の孤児』を最後にグリフィスのもとを離れ、初期のメトロ・ゴールドウィン・メイヤーのスターとして、ヴィクトル・シェストレム監督の『真紅の文字』(1926年)や『風』(1928年)に出演した。トーキーの時代に入った1930年代以降は舞台が中心となったが、映画にも折にふれて出演し、西部劇『白昼の決闘』(1946年)ではアカデミー助演女優賞の候補になり、『狩人の夜』(1955年)にも出た。1950年代から80年代にはテレビにも出演し、1987年公開のリンゼイ・アンダーソン監督作『八月の鯨』ではベティ・デイヴィスと共演して、90歳を超えているとは思えない瑞々しい演技を見せ、長い経歴を締めくくった。晩年はサイレント映画の価値を訴え、保存を求める活動にも力を尽くした。

生涯の業績を評価されてアカデミー名誉賞を受け、1984年にはアメリカン・フィルム・インスティチュートの生涯功労賞を贈られた。1999年に同協会が選んだ「最も偉大な女優50選」では第17位となった。ケネディ・センター名誉賞も受けている。1993年、老衰による心不全のため、ニューヨークのマンハッタンのアパートで99歳で亡くなった。生涯独身であった。

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