HISTORICAL PERSON · 1993年没

レオニード・ガイダイ

ソ連、ロシアの喜劇映画監督。全ロシア映画大学で学び、1961年の短編映画集で最初の成功を収めた。観客動員記録を打ち立てた作品は、今もロシアのDVD売上上位にある。

生涯
1993年没
死亡地
ロシア連邦(モスクワ)
出生地
ロシア連邦(スヴォボードヌイ)
出典
世界地図
ロシア連邦(モスクワ)

伝記

レオニード・ガイダイは、1923年1月30日、ソビエト連邦のアムール州のスヴォボードヌイに生まれた喜劇映画監督である。父イオフ・イシドロヴィチは、現在のウクライナのポルタヴァ出身の鉄道員で、母マリヤ・イヴァノヴナは、リャザン州の出身だった。兄に記者で詩人のアレクサンドルがいて、姉妹もいた。誕生の年に、一家はチタに移り、1936年にはイルクーツクに移った。ガイダイは、そこの鉄道学校で学んだ。第二次世界大戦中は、赤軍に従軍した。1942年12月14日、カリーニン戦線の村での戦闘で、敵の陣地に手榴弾を投げ込んで、ドイツ兵3人を倒し、捕虜を1人捕らえて、戦闘奉仕勲章を授けられた。その後、対人地雷で足に重傷を負い、戦闘に耐えないと判断されて、除隊した。

1947年に、イルクーツクの州立劇場で演劇の勉強を終え、照明係や俳優として働いた。2年後の1949年に、全ロシア映画大学の監督科に入り、1955年に卒業した。のちに、彼の映画の端役で出演することになる女優ニーナ・グレベシュコワと結婚した。1956年に最初の映画を撮ったが、2作目は、検閲を受けて、上映時間がほぼ半分になり、あやうく監督としての経歴を失いかけた。1960年の作品は、のちに本人も評価しなかったという。1961年に、悪漢のコミックトリオを登場させた短編映画『バルボスと奇妙な競走』などで、人気を得た。彼らを演じたユーリー・ニクーリンらは、のちに彼のいくつかの映画に出演した。このトリオのいたずらな冒険は、監督の名声を高めた。1961年のカンヌ国際映画祭では、短編映画が候補となった。

1962年には、オー・ヘンリーの短編を映画にした『ビジネスマン』を撮った。3年間の中断のあと、1965年の『作戦コード<ウィー>とシューリクのその他の冒険』、1966年の『コーカサスの女虜、もしくはシューリクの新しい冒険』、1968年の『ダイアモンド・アーム』と、ソ連の喜劇映画の傑作を立て続けに撮った。『ダイアモンド・アーム』は、7670万枚のチケットを売り、ソ連で3番目に動員の多い映画となった。1995年には、ロシアのテレビ局の調査で、過去100年のロシアで最高の喜劇に選ばれた。この作品でニクーリンに役を割り当てているころ、トリオは解散した。1970年代には、ゲオルギー・ヴィツィンら、自分のスタジオの喜劇俳優たちと仕事をし、ゾーシチェンコやブルガーコフ、ゴーゴリらの作品を映画化した。1961年から1975年にかけて撮った作品は、それぞれが経済的に大きく成功し、ソ連で人気となった。

1975年以降は、衰退の時期に入った。1980年のソ連とフィンランドの合作映画が、唯一の注目すべき作品だった。1990年には、ペレストロイカを利用して経済活動をする様子を描いた映画を監督し、1992年の最後の映画では、自動賭博機を打つ年老いた賭博者として、カメオ出演した。ガイダイは、実生活でも賭博中毒だった。ソ連人民芸術家の称号も授与された。1993年11月19日、モスクワで死去した。2013年1月30日、生誕90周年を祝って、グーグルのロゴに、彼の肖像と喜劇のキャラクターが登場した。

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