伝記
レフ・ニコラエビッチ・グミリョフは、1912年10月1日にロシア帝国のサンクトペテルブルク市ツァールスコエ・セロー(現在のプーシキン)で生まれた、ソビエト連邦の歴史家、民俗学者、人類学者である。父ニコライ・グミリョフと母アンナ・アフマートヴァはともに詩人として名高く、両親は彼が7歳のときに離婚し、父は彼が9歳のときにチェーカーによって処刑されたとされる。
若い日々は政治的な弾圧に翻弄された。1935年に内務人民委員部に逮捕されて釈放されたのち、1938年に再び逮捕されて5年の刑を言い渡され、1938年から1956年まで、ソ連の労働収容所で過ごしたという。オシップ・マンデリシュタームの「スターリン・エピグラム」が逮捕に関わったとも言われる。1944年には自ら志願してソ連赤軍に入り、1945年のベルリンの戦いにも参加した。復員後はソビエト連邦諸民族民俗学博物館に勤めたが、1949年に再び内務人民委員部に逮捕され、10年の刑を宣告された。母は息子の解放を願ってスターリンを称える詩を発表したが、釈放にはつながらなかったとされ、母子の関係はぎくしゃくしたものになった。母は、この弾圧の時代への思いを長詩「レクイエム」に描いている。
1953年のスターリンの死と、1956年のスターリン批判のあとに釈放され、エルミタージュ博物館に勤めた。館長のミハイル・アルタモーノフを師と仰ぎ、その指導のもとで、ハザールをはじめとする草原の諸民族の研究に関心を深めた。1950年代から1960年代にかけて、ヴォルガ河口域や北コーカサスへの調査にも何度か参加している。地質学者と協力して、カスピ海の海面上昇がハザール衰退の一因だったとする説を唱え、サマンダル遺跡の発掘も提案した。1960年にはレニングラード大学で講義を始め、その2年後には古代テュルク人についての博士論文を審査に通した。1960年代からは地理学研究所にも勤め、地理学で2つ目の博士論文を提出した。
学説の核は、同じ土地で独自の生活様式と歴史経験を共有する人々が、世代を重ねて民族集団を形づくっていくという見方である。ロシア人をユーラシアの草原のテュルク系・モンゴル系の諸民族と近しい「超民族」と見なし、ユーラシアの諸民族がロシアのもとに結びつく文明を思い描いた。ロシアとステップの民が衝突したとされてきた時期は、カトリック教会のヨーロッパがもたらす脅威に対抗して、双方が力を結集した時期だと読み替えた。「タタールのくびき」という呼び方も退け、モンゴルの支配を必ずしも否定的な出来事とは考えず、ロシア人とタタール人の軍事的な同盟と見た。こうした汎アジア的な見方から、タタール人やカザフ人などテュルク系の人々、モンゴル人らの民族運動を支持した。これらの説に対しては、科学的には証明されていないとする評価があり、反ユダヤ的だとする研究者もいる。公式のソ連当局は彼の考えを退け、著作の多くの出版を禁じたが、ペレストロイカの時期である1985年から1991年に大きな注目を集めた。
1992年6月15日に死去した。学説はソ連崩壊後のロシア・ナショナリズムやネオ・ユーラシア主義に影響を与え、中央アジアでも人気が高い。2005年8月にはカザンに記念碑が建てられ、カザフスタンの首都アスタナには、初代大統領ナザルバエフによってエル・エヌ・グミリョフ記念ユーラシア国立大学が創設された。
同じ年に亡くなった人物
- リサ・フォンサグリーヴス (1992年没)
- Andre Vandeweyer (1992年没)
- ピーター・ライス (1992年没)
- Giacomo Conti (1992年没)
- マーシャ・P・ジョンソン (1992年没)
同じ地域に関係する人物
- ヴィタリー・ビアンキ (1959年没)
- ニナ・バルディチェワ=フョードロワ (2019年没)
- インノケンティー・アンネンスキー (1909年没)
- オリガ・ベルゴリツ (1975年没)
- ワシリー・バジェーノフ (1799年没)