伝記
ラファエル・ホセ・オロスコ・マエストレは、1954年3月24日、当時マグダレーナ県にあったベセリルで、ラファエル・オロスコと妻クリスティーナ・マエストレの子として生まれたコロンビアの歌手、作曲家である。男5人、女8人の13人きょうだいだった。ロバに乗って川の水を汲み、売り歩いた子供時代を送った。当初は父と同じアコーデオン奏者になりたいと考えていた。メキシコ映画で覚えたランチェーラや、お気に入りの歌手の恋歌も歌っていた。ヴァレドゥパルの国立学校で中等教育を受けた。文化週間の歌のコンテストで優勝し、そこで歌った「私の命の愛しい人」が、彼の最初のヒット曲となった。1975年に、アコーデオン奏者のエミリオ・オビエドと初めて録音し、この曲を収録した。
ラファエル・オロスコとイスラエル・ロメロは、セサール県マナウレの学校で初めて出会った。オロスコがパーティーで歌ったときだった。その後、バランキージャのカリブ自治大学の学長の誕生日で、二人は一緒に演奏した。2か月後、同じバランキージャの、レニン・ブエノ・スアレスの誕生日に、1976年、「ビノミオ・デ・オロ」が生まれた。このグループは、コロンビアのほかメキシコ、ベネズエラで非常に人気の高いバジェナート(コロンビアの民俗音楽)の団体となった。ブラジル、メキシコ、ベネズエラ、キューバ、アメリカ、日本など、世界中でミリオンセールスを記録し、16のゴールド・ディスクと2つのプラチナ・ディスクを受けた。バランキージャのカーニバルの管弦楽団の祭典では、金のコンゴ像を3つ受けた。作曲を始めたのは晩年で、「君のためだけに」などの作者となった。妻クララ・エレーナに捧げた曲は、彼の最高の曲の一つとされる。
1976年3月5日に、バランキージャの教会で、クララ・エレーナ・カベロ・サルミエントと結婚し、3人の娘をもうけた。サッカーが好きで、地元の球団のファンだった。経営学を数学期学んでから、音楽に専念した。1992年6月11日の夜、娘たちが学期末を祝うパーティーを自宅で開いていた。ディオメデス・ディアスのグループの助手二人が、楽器と金を借りたいと訪ねてきた。オロスコは、パーティーを邪魔しないよう、家の外で二人と会った。午後9時45分、見知らぬ男が近づいて、10発の銃弾を浴びせた。妻が病院に運んだが、すでに息はなく、午後10時に死亡が確認された。殺害の動機としては、麻薬の密売人の恋人だった女性と関係があったためとされる。ディオメデス・ディアスは、友人でありながら、音楽の分野では敵と見られていた。
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