伝記
リー・レミックは、本名をリー・アン・レミックといい、1935年12月14日にマサチューセッツ州クインシーで生まれたアメリカ合衆国の映画・テレビ女優である。父フランシス・エドウィンはデパートを経営する実業家で、陸軍の中尉でもあった。母ガートルード・マーガレット・ウォルドーは女優であった。7歳のとき、父がワシントンに転勤になったため、一家はニューヨークに移り、母はラジオの仕事を続けた。ヒューイット校やダンス教室に通い、モデルをしていた時期には、アクターズ・スタジオやバーナード・カレッジでも演劇を学んだ。1951年に16歳でブロードウェイの舞台に立ち、同じ年にテレビにも初めて出演した。その後、いくつもの連続テレビドラマに出演した。1953年に18歳で舞台劇に出演し、ミュージカルの『オクラホマ!』や『ショウボート』にも参加した。
あるテレビドラマでの才能がエリア・カザンの目に留まり、その監督のもとで、1957年に22歳で『群衆の中の一つの顔』により映画デビューした。1959年に、ラナ・ターナーに代わってオットー・プレミンジャー監督の『或る殺人』の主要な女性の役を得て、ジェームズ・スチュアートと共演し、ゴールデングローブ賞の主演女優賞にノミネートされた。再びカザンと組んだ『荒れ狂う河』(1960年)では、アルコール依存の問題を抱えていたモンゴメリー・クリフトと共演した。撮影の最中に、夫のビル・コレランが自動車事故で重傷を負い、クリフトに支えられたという。1962年には、ブレイク・エドワーズ監督の『酒とバラの日々』で、アルコール依存症に陥る主人公の妻で、自らも酒におぼれる役を演じ、ジャック・レモンを相手役に、アカデミー賞にノミネートされた。続いてキャロル・リード監督の映画に出演し、1965年にはスティーヴ・マックイーンの相手役を務めた。その後は映画の役が減り、舞台に力を入れ、1966年に舞台『暗くなるまで待って』でトニー賞にノミネートされた。1968年にはフランク・シナトラと共演した『刑事』に出た。
1969年に、二人目の夫で助監督のキップ・ゴーワンズと、ロンドンに居を移した。1970年代にはテレビ映画やドラマに10本以上出演し、ゴールデングローブ賞と英国アカデミー賞のテレビ部門の主演女優賞を3度受賞した。エミー賞には7回ノミネートされた。チャーチルの母を描く連続ドラマで、主人公のジェニー、すなわちレディ・ランドルフを演じて好評を博した。1976年、41歳のときに出演した『オーメン』は、批評家の評価は低かったが、空前のオカルトブームの中でヒットし、その年の最大の成功作の一つとなった。母親役の、驚きにカッと見開いた大きな瞳と、華奢な顔立ちは、作品の象徴となった。1979年のテレビドラマ『将軍アイク』では、ロバート・デュヴァルが演じるアイゼンハワーのヒロイン役を務めた。
1980年代はテレビ映画や連続ドラマに出演した。1989年に撮影でフランスにいたとき、腎臓の癌が見つかったが、一度は回復した。やがて癌は再発し、1991年にハリウッド・ウォーク・オブ・フェームに星が加えられ、その授賞式が最後の公の場となった。同年7月2日、腎臓癌と肝臓癌により、ロサンゼルスの自宅で、夫と母親、息子と娘たちに見守られながら、息を引き取った。
同じ年に亡くなった人物
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- エルンスト・クルシェネク (1991年没)
- ゴードン・ピリー (1991年没)
- アルフレート・ドンペルト (1991年没)
- ジョン・マコーン (1991年没)
同じ地域に関係する人物
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- ジョナス・ソーク (1995年没)
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