伝記
アルフォンソ・ガルシア・ロブレスは、1911年3月20日にメキシコのミチョアカン州サモラで生まれた外交官で、政治家である。グアダラハラのイエズス会系の名門校で学んだのち、メキシコ国立自治大学で法律を学んで卒業した。1936年には、パリの高等国際問題研究所で大学院の研究を行い、1938年にはハーグの国際法アカデミーでも学んだ。1937年にはカジキを守る運動を起こしたことから、「カジキ」という愛称で呼ばれたという。
1939年にメキシコの外務省に入り、在スウェーデン大使館の三等書記官となった。1941年にメキシコに戻り、外務省の政治局の次長として5年間働いた。のちに、平和のための国家計画委員会の国際問題担当の書記として、1945年にサンフランシスコで開かれた国際連合の設立会議に代表として加わり、国連の法的基礎が築かれる場に立ち会った。1946年から1956年までニューヨークに住み、国連の安全保障理事会関係の部局の政治部長を務めた。1948年のボゴタでの汎米会議では国連の代表となり、米州機構憲章の署名に立ち会った。1950年に、国連職員であったペルー人の女性フアナ・マリア・シシュロと結婚し、二人の子をもうけた。
1958年から1960年まで外務省でヨーロッパ、アジア、国際機関担当の局長を務め、海洋法に関するジュネーブ会議にも貢献した。1962年から1964年までブラジル大使を務め、1964年から1970年までは外務次官を務めた。1971年から1975年は国連大使、1975年から1976年には外務大臣を務めた。その後は、ジュネーブ軍縮会議のメキシコ恒久代表となった。
最大の功績は、ラテンアメリカとカリブ海を非核地域と定めたトラテロルコ条約の成立に尽力したことである。キューバ危機の結果、ロペス・マテオス大統領が、地域の非核化を推し進め、大国間の争いに巻き込まれないことをめざした。核兵器を禁止し、この地域が対立に関与しないようにすることが狙いであった。ガルシア・ロブレスは、この合意を立ち上げ、実現する上で決定的な役割を果たし、「トラテロルコ条約の父」とも呼ばれた。1964年から1967年にかけて、ラテンアメリカ非核化準備委員会が、メキシコ市で4回の会期を開き、ガルシア・ロブレスは外務次官としてメキシコ代表団を率いるとともに、委員会の議長に指名された。交渉は、ホルヘ・カスタニェーダやイスマエル・モレノ・ピノらの外交官とともに進められ、ブラジルのジョゼ・セッテ・カマラらの各国代表も加わった。年月をかけた交渉の末、条約は1967年2月14日に署名され、1968年に発効した。1972年には、メキシコ国立学院の会員になった。1978年と1982年の国連総会では、全面的な軍縮の推進で中心的な役割を果たした。1982年に、軍縮と非核地域をめざした活動により、スウェーデンのアルバ・ミュルダールとともにノーベル平和賞を受賞した。著作には、国際法や石油問題を扱った初期のものに加え、『ラテンアメリカの非核化』(1965年)や『トラテロルコ条約』(1967年)などがある。1991年9月2日にメキシコ市で死去した。
同じ年に亡くなった人物
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