伝記
ウラニウスは、3世紀のローマ帝国で皇帝位を僭称した人物の名である。この名で呼ばれる僭称者は二人いた可能性があり、一人は歴史家ゾシモスだけが言及する人物、もう一人は貨幣によって裏づけられる人物である。
ゾシモスが記す最初のウラニウスは、アレクサンデル・セウェルス帝の治世の後半に短い間活動したとされる。ドナウ川沿いの不満を抱いた兵士たちに擁立され、出自は卑しかったという。ただし、その存在を裏づける証拠は乏しい。ゾシモスの記述について、ヘリオガバルス帝とアレクサンデル・セウェルス帝の時代の僭称者とする説明もあり、ゾシモスが次に述べる人物と取り違えたのではないかとも考えられている。
より確かな二人目は、ルキウス・ユリウス・アウレリウス・スルピキウス・セウェルス・ウラニウス・アントニヌスという長い名の人物である。250年代の初めにシリアで活動したらしく、エメサで鋳造された貨幣にその名が刻まれ、土地の神である太陽神を祈る図柄も見つかっている。貨幣の裏面にはエメサの太陽神エル・ガバルの神殿と聖なる石が描かれる。貨幣の年代は254年とされ、先の僭称者より四十年近く後になる。エメサのサムプシゲラモスという神官と結びつける学者もいる。
シリアで鋳造された貨幣が、文献に語られる人物と同じ人物のものかどうかは明らかでない。もし後の年代が正しければ、ウラニウスはペルシアのササン朝の王シャープール1世からローマ帝国を守る側にいたかもしれない。ヨハネス・マララスは、神官サムプシゲラモスが投石兵の小部隊を率いてシャープール1世に大勝したと伝えており、この神官がウラニウスであれば、ササン朝の侵入に際して皇帝を名乗ったことになる。中央の力が弱く、地方の有力者が土地の兵を集めて防衛にあたらなければならなかったため、たとえ地方的であっても皇帝の権威が役立ったという見方である。やがてウァレリアヌス帝が軍を率いて近づくと、ウラニウスは主張を引き下げたのかもしれないが、それは皇帝との妥協の結果だった可能性もあるにとどまる。皇帝を名乗ったのちに彼がどうなったかは分かっていない。
同じ年に亡くなった人物
- オリゲネス (254年没)
- ルキウス1世 (ローマ教皇) (254年没)
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