伝記
ジム・ヘンソンは、1936年9月24日に生まれ、1990年5月16日に没したアメリカ合衆国の映画監督、プロデューサー、人形使いである。近代アメリカのテレビ史において、最も重要な操り人形師の一人で、マペットの生みの親として知られる。彼が創作したカーミットやミス・ピギー、そして『セサミストリート』のキャラクターは、いまも世界の人々に愛されている。
ミシシッピ州グリーンビルで、農務省に勤める農業研究者の父ポールと、母エリザベスの次男として生まれた。兄にポール・ジュニアがいる。家族からはジミーと呼ばれ、クリスチャン・サイエンスの教徒として育てられた。ミシシッピ州で幼年期を送ったあと、小学校5年のときに、父の転勤でメリーランド州に移った。黎明期にあったアメリカのテレビ産業に魅せられ、高校を卒業すると、地元のテレビ局でアルバイトとして、人形劇の仕事を始めた。メリーランド大学でスタジオアートを学びながら、自作の人形劇の仕事も続け、地域で名声を広めた。大学で、のちに人形操演者であり、生涯の伴侶となるジェーン・ネベルと出会い、ワシントンのテレビ局のオーディションに合格した。1955年に最初の番組『サムと友達』を作り、この番組は1958年にエミー賞を受けた。操り人形を意味する二つの言葉を合わせた「マペット」という語が最初に使われたのも、カーミットの原型が登場したのも、この番組だった。
1960年にデトロイトで開かれたアメリカの人形劇の大会に、家族で参加し、人形操演者たちの知遇を得た。この大会で、フランク・オズの両親と知り合い、ジェリー・ジュール、フランク・オズ、ドン・サーリンらの、のちにヘンソン社の中核となる人々と出会った。1962年に、マペットたちがニュースショーの常連になるほど人気を得たため、本拠地をニューヨークに移した。1968年、同年発足したチルドレンズ・テレビジョン・ワークショップの、未就学児童向け教育番組の計画に参加し、1969年にパイロット版が作られた。これが『セサミストリート』で、のちに世界のほとんどの国で放映された。しかし、この番組は子ども向け以上の表現ができなかったため、成功は彼にとって微妙なものだった。続いて、完全に大人向けのウィットの利いた人形劇を志向し、イギリスの製作会社との共同制作で、『マペット・ショー』を作った。1976年から1981年まで、5シーズンにわたって放映されて大成功を収め、ミス・ピギーやゴンゾ、フォジーといった、今日でも知られるスターが生まれた。
1980年代前半からは、映画でもヒット作を生み出した。カーミットやミス・ピギーが活躍する『マペットの夢みるハリウッド』などのほか、マペットの技術を用いて、独自のファンタジー世界を構築した『ダーククリスタル』と『ラビリンス/魔王の迷宮』がある。ソ連軍のアフガン侵攻などの世界情勢の悪化を背景に、その好転を願う寓話として作られたのが、テレビシリーズの『フラグルロック』である。1990年5月16日、化膿レンサ球菌の感染症に倒れた直後、ニューヨーク病院で死去した。死の直前まで意識ははっきりしており、病状の深刻さをうかがわせるものはなかった。5日後、ニューヨーク大聖堂で追悼式が行われた。故人の意思により、喪服の着用はなく、楽隊が奏でる曲の流れる中、彼が創造した何百ものマペットたちも加わる、色とりどりの式であった。ヘンソンの持ち役の多くは、死後、スティーヴ・ホイットマイアに引き継がれた。
同じ年に亡くなった人物
- アイリーン・ダン (1990年没)
- サビーカス (1990年没)
- 銭穆 (1990年没)
- アーヴィング・ウォーレス (1990年没)
- ジョルジュ・ド・ラーム (1990年没)
同じ地域に関係する人物
- Pavel Bermondt-Avalov (1974年没)
- ビンス・マクマホン・シニア (1984年没)
- Peter Malkin (2005年没)
- アレキサンダー・カートヴェリ (1974年没)
- ノーラ・エフロン (2012年没)