伝記
セオドア・ロバート・バンディは、通称テッド・バンディといい、1946年11月24日に生まれ、1989年1月24日に没したアメリカの犯罪者であり、元死刑囚である。1970年代に、アメリカの複数の州で多数の若い女性を誘拐し、殺害した連続殺人犯である。犯行は1974年から1978年にかけて行われ、未発見の遺体も多く、正確な被害者数は不明である。
1946年11月24日、バーモント州バーリントンに私生児として生まれ、出生時の名はセオドア・ロバート・カウエルであった。母ルイーズはデパートの店員で、血縁上の父は不明である。母と9歳になるまで、祖父とともにフィラデルフィアで暮らしたが、家族によれば、祖父は気性が激しく暴力的だったという。私生児という不名誉を隠すため、祖父母の養子として、つまり母の弟として周囲に触れ込まれていたようである。のちに母の叔父がいたワシントン州タコマに引っ越し、母が退役海軍軍人のジョン・カルペパー・バンディと結婚したため、バンディ姓となった。青年期まで、実の母を姉と考えていた可能性があるとも言われる。高校では教会とボーイスカウトの活動に熱心だったが、卒業する前から万引きや窃盗に手を染めていた。
高校卒業後、ピュージェットサウンド大学に入学して心理学を専攻し、自己変革に取り組んで、周囲から「ハンサムで頭脳明晰な青年」と見られるようになった。ワシントン州の共和党員として知事選の選挙活動に参加し、若手党員の中で頭角を現して、「州知事や連邦上院議員にもなれる」と称賛された。シアトルの自殺救済電話相談室でもボランティアを務め、そこで知り合った駆け出しの犯罪記者アン・ルールは、のちにバンディの伝記を書くことになる。大学一年生のとき、サンフランシスコの名家出身の女性と交際を始めたが、破局した。前述の自己変革は、この失恋がきっかけとされる。
最古の立証された殺人は、27歳だった1974年に起きている。1974年1月から6月にかけて、ワシントン州で多数の女性が襲われ、7月には州立公園で昼間に2人の女性が拉致、殺害された。バンディは魅力的な顔立ちだが覚えやすい顔立ちでもなく、ひげや髪型を変えるだけで姿を変えられる、カメレオンのようだと言われた。秋に遺体が次々と発見され始めたころ、ユタ州に移り、ユタ大学法科大学院に進学した。1974年11月、警察官を装ってショッピングモールで18歳の女性に近づいたが、女性は途中で違和感を覚えて逃げ出し、警察に経緯を訴えた。バンディは1975年8月16日に逮捕され、1976年3月に、誘拐の罪で禁錮刑を受けた。
コロラド州の殺人事件の裁判の準備中、1976年6月に裁判所の2階の窓から飛び降りて逃亡したが、足首を痛め、1週間後に捕まった。1977年12月30日の夜には、刑務所の独房の天井に穴を開けて抜け出し、車を盗んで逃亡し、飛行機や列車、バスを乗り継いで、フロリダ州タラハッシーに着いた。偽名でアパートを借りていたが、1978年1月に女子寮で襲撃事件を起こし、2月には12歳の少女を殺害した。この少女が最後の被害者となった。1978年2月15日、乗っていた車が盗難車のナンバーだったことから、警官に拘束された。1979年6月から7月にかけての第2審では、国選弁護人がいたにもかかわらず、自分で弁護を行い、判決は死刑であった。死刑執行までの間、数百通のファンレターを受け取り、1989年1月24日に死刑が執行された。
同じ年に亡くなった人物
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- ジョン・J・マクロイ (1989年没)
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